浮御堂(うきみどう)、といっても滋賀県に縁がない人ならば聞いたこともないだろう。琵琶湖の湖上に建つこの場所は知る人ぞ知る名所で、俗に満月堂とも呼称する。
先日この浮御堂を訪ねたのだが、自家用車を持たない我が家は当然、公共の交通機関であるところのJRを利用して堅田駅から15分ほど徒歩というルートであった。それにしても駅を降りてからの15分、ほとんど歩いている人を見かけないのである。
これはどうしたことだろうか、と驚くものでもないのだろうが、相応に自動車の交通量はあるにも関わらず、徒歩の人がいないというのは田舎のあるあるなのだろう。それにしても本当にすれ違う人がほとんどいない。国道沿いの道は基本的に徒歩の人を想定していないのか車道を歩いているかのようなところもあり、なるほどこれでは徒歩の人はいないわけだと妙に納得したところである。
その点、東京は自家用車が無くて困るようなことがほとんどない。参考までに都道府県別の自家用車所有率を調べてみたところ、自動車検査登録情報協会の調べ*では東京都の1世帯当たりのそれは0.421台、全国1位というか突出して低い(令和4年調べ)。東京都全体としてこれだとすると、私の住む23区に限定するならばこれはさらに小さな値になることだろう。因みに滋賀県は1.351、47都道府県全体の20番目だ。決して多いわけでもない。むしろこれが日本の“平均”的な自動車所有率ということだろう。
さて、疫学の分野でよく利用するところの「有病率」という算出はこの「自家用車所有率」と同じような計算をする。つまり「花粉症の有病率」といえば、人口を分母に、花粉症の人を分子として計算する。「肺がんの有病率」ならば人口を分母に、肺がんの人を分子として計算する。主には“社会的なインパクト”をみる指標であり、逆に希少な疾病であれば1万人に1人(0.01%)とか100万人に1人(0.0001%)といった値となり、疾病間での比較に便利だ。
ただ、少しばかり気を付けないといけないことがあり、発病から死に至るまでの時間が短いような重い病気はその“社会的なインパクト”や“直観”よりもかなり小さな値になる。癌の中でも膵臓がんなどは小さく算出され、一方、前立腺がんなどは死亡リスクが低い方の癌であり大きな値となるので、かえって比較が困難、ナンセンスということになることもある。
また、「率」という言葉は本来、時間の概念があるものというのが疫学分野での共通認識であり、そのような意識が強い人に対しては「有病率」という表現は不愉快にさせる可能性があることもまた違う意味で注意が必要だ。ひょっとしたら「有病率」とタイトルしたこのブログを疫学専門家がみたらイラっとされるかもしれない。そのような空気感がある場合は「有病割合」と表現するとよい。
とはいえ、投票率とか打率とか、もはや「率」には時間の概念のない使い方が当たり前になっているので、あんまり抗っても仕方がないようにも思うのである。
何が人の怒りに触れるかなどは他の人が確実には想像できるものでないだろう。このブログを読まれた疫学専門家に加え、堅田の人のそれに触れないことを祈りたい。
以上
*chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.airia.or.jp/publish/file/r5c6pv00000104ju-att/kenbetsu2022.pdf
以上
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