実際とは違う、パラレルワールドのことを疫学分野では事実と反するということで「反事実」と呼称するのが常である。
もしあのとき、あの場所に行っていたらとか、もしあの人と結婚していたらとか、人生にはいくつもの分かれ道があって、どちらかを選ぶともう一方はあきらめなければならない。それが反事実ということであり、特段、疫学で反事実という概念が重宝されるのはA薬が有効なのかどうかを調べるうえで、同じ人に対して同じタイミングで処方した場合としていない場合とを比べるのが理想のモデルなのに、それがかなわないからである。
かゆみを防ぐ薬の場合とか、目薬とかの場合は、まあまあの「事実」に近い「反事実」を設定できることもある。簡単にいえば右手にも左手にもあえて蚊にさされておいて、右手と左手で別の薬を塗ってみる、そんなデザインだ。
また、同じ人に対して今週はA薬を処方し、身体の中でその成分が完全に無くなったタイミングで来週はB薬を処方して比べる、ということが出来るタイプのものもある。しかしながら慢性疾患や癌の治療薬ではそうはいかない。「反事実」は人生と同じように、「あのとき結婚していなかった私」を観察することはできない。
競合リスクという概念はこの反事実と親戚のような概念だ。薬を処方することで皮膚炎やらメンタル不調やら色んな副作用が発生することがあるのだが、その中で「先行して発生した副作用のせいで治療をやめた場合」が問題になることがあり、「治療を継続した場合」に観察できるハズの情報が全て観察できなくなってしまう。後発する可能性のある副作用やイベントの目線でみて、その忌々しい(?)先発した、治療をやめてしまった副作用が「競合リスク」というものだ。
もっとも強力な競合リスクは「死亡」だろう。長期に処方していたのならばメンタル不調やら血球減少やらの副作用が恐らくは発生したであろうに、処方して間もなくお亡くなりになったとなれば、この患者さんは薬によってメンタル不調や血球減少といった副作用は「発現率0%」となる。
日本ではよく「副作用発現率」という指標で副作用のリスクを定量したり、他の治療と比べたりするのだが、極端にいえば全然効かない薬があって、処方して早期に死亡するというのであれば比較対照の治療と比べて「副作用の心配は非常に低いです」となる。特に色素沈着のような、長いこと処方していないと起きないような副作用リスクを比べるときには注意が必要だろう。
以上
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