BLO124 教育経済学( economics of education )

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漫画やアニメといった文化がこれほど世界の人々を魅了する時代が訪れることは私が子供の頃には全く想像が出来なかった。そもそもこうした文化に子供が触れるのは「悪いこと」と認識されており、友達の中では漫画禁止、テレビを見るのも1日30分まで、といったような厳しい家庭内ルールのある家も少なくはなかったのである。

今ではどうなのだろう。少なくとも我が家では子育てにおいてそのようなルールを設けたりはしなかったし、他の家庭からもそのような話は聞こえてこない。もしも今どきの子供が親からこのようなルールを提示されようなことがあったならば、「それってあなたの感想ですよね」、という流行語とともにテレビを見るのが何故悪いのか、そのエビデンスを要求してくるかもしれない。

実はテレビをみることが悪いことなのかどうかというエビデンスは既に決着がついているといってよいほどに研究が実施されている。良い/悪いという概念は曖昧さがあって研究デザインにしにくいのではあるが、生涯獲得賃金を指標として持ち出してきてこれを比べるという研究が各国で実施されている。要するに稼ぎが悪くなったりはしていないか、という研究であり、結論として稼ぎが悪くなったりはしていないというのが“エビデンス”である。

同様にして、子供に読書をさせることや塾に行かせること、外で遊ばせたりピアノやサッカーといった習い事をさせたりすることで将来の稼ぎが減らないのか、あるいは増えるのかといった研究分野は教育経済学と言われる。これはそもそも人間なるものが、賃金や株式のように資本であるというとらえ方のもと、それぞれの人材を人的資本とみなしたうえで、幼少期の様々な介入が人的資本としての当人の価値を高めるのかどうかという概念がベースにある。

「経済学者は何でもお金に換算するのだね」といった皮肉も聞こえてきそうだが、これはある程度、致し方ないというところなのだろう。良い/悪いの判断基準において本来的には「幸せになる可能性」などを指標にしたいところではあるが、幸福度の指標は厄介で、少なくとも万国共通のようなものはないからである。もちろん、教育経済学であっても生涯獲得賃金だけを指標にしているわけではなく、大学進学率や就職率、結婚率なども副次指標として調べるのが一般的ではある。

漫画やアニメを当時の親たちが「思い込み」によって「悪いこと」としていたのが明らかになった一方で、現代の親にとってはスマホやアプリ、SNSの利用時間が「悪いこと」なのかどうか気になるところだろう。

何年か前に実家に帰ってパソコンの画面でちょっとした仕事をしていたところ、80歳を過ぎた実母から「目が悪くなるから止めろ」とたしなめられたことがある。私のような内勤職の人間は仕事のほとんどがパソコンの画面とにらめっこしているので、パソコンを見ることを否定されてしまうのは仕事を辞めることと等しいのだが、耳の悪い母親に私の声は届かない。

時代が移り変わっても、親と子の間にはどうにもわかりあえない部分があるのは致し方ないことなのかもしれない。

以上

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