タカラトミー社の「人生ゲーム」は言わずとしれたボードゲームのロングセラーだ。マスを進めるに従って玩具のお金が増えたり減ったりしてボードの中で人生を歩む。ところが令和版の人生ゲームはその玩具のお金ではなく、フォロワー数を競うものなのだそうだ。
しかもスタート地点も無ければゴール地点も無いという。確かに今どきの価値観とは整合するのだろう。私も長いこと資本主義社会を生きてきたけれど、お墓に入る時点での所持金が多かろうが少なかろうがそれで勝敗が決まるというのもおかしいと言えばおかしい。
人生の目的は人それぞれで多様であっていいハズだし、人類以外の生き物をみていると生きる目的がどうだなどと思考しているのは人間だけ。突き詰めていえば人生の目的がどうだなどというのは正解がないどころか、その概念自体が幻想でしかないと考えるのが合理的だろう。
それでもなお、これまで古典的であった人生ゲームはやはり私にとって楽しいものだ。1億円を所持している方が100万円所持している人よりも勝者であるというルールはわかりやすい。社会を見渡してもお金をもっと稼ごうという動機があるからこそサービスは向上し、新たな発明が加速するというものだ。
一方で、「夢をかなえる」というのを目的とした場合はどうだろう。スポーツが得意な人にとってはその競技のプロになること、プロになった後はタイトルを獲得することなどシンプルだろうが、大抵の人にとっての「夢」というのはもっと多種多様に思える。
「私には夢がある。」黒人の公民権運動をリードしたキング牧師の名言として有名なものだが、ひょっとしたら大抵の人がこれと似たような言葉を発したことがあるのではないだろうか。
かく言う私にもまた夢がある。有り体にいえば世界平和ということになるので「なあんだ」とガッカリされるかもしれないのだが、その前提として日本の国際的地位の向上に貢献したい。「国際的信用力」「国際的発言力」と言い換えても良い。令和版人生ゲーム的にいえば「国際的インフルエンサー力」だ。
何故にこのような夢を持つかといえば、世界平和への貢献とのつながりを説明できないこともないのだが、極論すれば“生理的に”ということかもしれない。他国との間で領土や領海問題が生じたときに、それを平和裏に解決させるうえで―あるいは自国にとって有利な解決を導くうえで―国際的信用・国際的発言力が物を言うだろう。やはりこうした事案で日本が“敗訴”する様は見たくないのである。生理的に。
とは言うものの、日本の黒歴史からすればインフルエンサー力を高める手段として軍事力を強めるという打ち手には賛成できない。強力な軍事力を所有してしまうと、それを力試ししてみたくなるのは自明にも思えるし、統制を利かせながら軍事力を強めるというのは極めて難しい。何より「人の死」と隣り合わせで、これでは世界平和という最終目的と手段が逆行してしまう。むろんアメリカにおんぶにダッコという現状は是正が必要だとは思うが。
然るにいかにして国際的発言力を高めるかといえば、やはり経済力の向上ということにどうしても帰結してしまう。2国間で紛争が起きた場合に他の国がどちらを応援するかといえば、自国の商品やサービスを多く購入してくれる国ないしは多く提供してくれる国だろう。「どちらの言っていることに正当性があるか」で決まるとは過去の歴史からみても到底、想像できない。
日本の経済力向上に貢献する。資本主義の副作用として環境破壊や貧富の差の拡大が広がり、ポスト資本主義がささやかれるなかでこれはなんとも前近代的というか、昭和の人生ゲームのようでトホホな目標設定だ。
ただ、この目標に対する私自身の打ち手はむしろ令和版的であり、自身のインフルエンサー力向上である。このブログ連載も無関係ではない。無論、たかが一個人が果たしてどれだけ貢献できるかと考えてみれば蝶の羽ばたきほどの風しか起きないだろうが。
しかし、である。バタフライ効果という言葉はNHKが「バタフライエフェクト」シリーズを放映していることからも認知度が上がっているのではないだろうか。「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こす」。ブログ連載を通して万が一、そんなことが起きたらいいなと密かに目論んでいる。
以上
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