イエール大学所属の経済学者、成田悠輔氏の失言がニューヨークタイムズ誌でも取り上げられたということで、氏がメディアから撤退するのではないかと話題になっている。討論の場で雰囲気の悪いなじり合い状況になっても常に冷静で論理的な氏の物言いは大好きで、もし本当にメディアに登場しなくなるとすれば非常に残念なことだ。
その、常に冷静沈着な成田氏もヒトの子、珍しく感情をあらわにした動画がYouTubeで公開されている。成田氏にとってはめったにないことであり、物珍しさから思わず視聴してしまった。
その動画をかいつまんで紹介しよう。経済政策アナリストなる肩書の人が、「これが日本が経済成長しなかった唯一の理由になります」と前置きしたうえで語った「政府支出を増やさなかったから」のロジックが酷すぎて氏の琴線に触れたのである。
政府支出というのは、例えば東京都が子供のいる家庭へ一律お金を配るとか、ベーシックインカムと言われる、国民全員に一定のお金を配るといった政策等をさす。収入が増えれば支出も増えそうで、ならば経済成長の一助となるかもしれない。その意味で経済政策アナリストの意見は正しい可能性がある。
もちろん、成田氏もその点については否定しているわけではなく、それは特に感情を逆なでるものでも何でもない。そうではなく、問題はその「唯一の理由になります」とした論拠に、名目経済成長率と政府支出の散布図を持ち出してきたところにある。
両者は確かに相関しており、経済成長の低い国には政府支出が低く、高い国は政府支出が高いため、この散布図には正の相関、直線を描写することが出来る。しかしながら、散布図に直線が引けるからといって、必ずしも政府支出をすれば経済成長することが約束されるわけではない。
どういうことか。例えば「読書をする子は学業成績が良い」という、よく言われている通説を例にとって考えてみよう。
これは「読書をすること」で「学業成績が良くなる」から相関しているかもしれないが、一方で「元々、学業成績がよい子」の特性として「読書をしがち」である可能性もある。つまり、原因と結果が逆であって、子供たちに一律に読書を強制すれば全員の学業成績が上がるという証拠にはなりえないのである。
つまり、今回の例においても確かに政府支出は経済成長率と相関していたとしても、その原因と結果はあべこべ、経済成長をしている国だからこそ政府支出を増やすことが出来ただけである可能性も考えなければならないのである。
動画の中で成田氏は「仮に国民全員に毎月100万円を支給する政府支出を実施した」という例をとって、「果たして労働意欲にどう影響するのか、あるいはその100万円すべてパチンコに使っても名目経済成長率は高くなるが、それでよいと言えるのか」と、わかりやすい反論を提示している。
更にはその期に及んでようやく「どうやら原因と結果が逆であって、失敗だったね」とわかったとして、「では来月から100万円の支給は停止します」という手は打てない、国民が暴動を起こすからという話をしてアナリストの提案の情弱さ(=情報に弱いこと)を糾弾している。
一方のアナリストは成田氏の反論を理解しているのかどうなのか、なんだか頓珍漢な受け答えをしていて、相変わらず「政府支出が少ないせいで経済成長が低い説」の情弱さを取り下げようとしない。それで氏が怒ったというわけである。
成田氏の怒りの根源にあるところに私は強く共感する。このアナリスト個人に対してということではなく、“経済アナリスト”なる肩書の人たちが自分の考え(妄想?)を主張したいからといって、あたかもそれっぽい数字を提示する場面をメディアでよく目にするからだ。
さて。「自分の考えを押し付けたい」動機は減らないにしても、まずは相関と因果とは随分と違うのだということが広まると、こうした相関図の解釈間違いは減るだろう。そこにどうにか貢献できないものだろうかと、微力ながら思案するところである。
成田氏の失言の方は大手メディアに取り上げられ、どうやら“バタフライ効果”の軌道に乗ったようである。そっちじゃなくて、「因果と相関は違うよね」の方こそ、バタフライ効果を起こして社会に浸透しないものだろうか。なかなか世の中はうまくいかない。
以上
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