リスキリング(re-skilling)

ブログ

「学び」とかいう言葉を聞くと劣等生の私はそれだけで抵抗感がありトリハダが立つのだが、幸福学ではどうやら「遊び」と割に近いところに分類されていて、幸せ度を向上させるファクターらしい。

確かに何か知りたいことを知ろうとする動機は、子供の好奇心にも似てワクワクするものだ。ネットで調べてそれが満たされることもあれば、もっと深堀りしたくなって専門書を読む、これは確かに幸せ度を向上させる。

では何故「学び」という言葉にトリハダが立つのかと考えてみると、過去の記憶の中でそれは「強制労働」に近いところに分類されていたからだろう。受験勉強が楽しいなんていう人の気が知れない。

一方で、知りたいことを知ろうとする方は歓迎だ。買いたい本があれば何冊でも「大人買い」する。興味あるセミナーにもよく出席する。これを傍(はた)から見たらもしかして私は「勉強熱心な人」に映るかもしれない。ただ、恐らくそれは大いなる勘違いだろう。

「勉強する」という言葉のソースをたどれば「無理強いする」という意味合いに辿り着くことになる。時代劇などで商人が「勉強しますから」と言ったらそれは、お客様の要望(=
無理難題)に対してモノの値段を下げることだ。私がやっていることには無理強いされているものはないので、少なくとも「勉強」には当たらないハズだ。

最近はよく「リスキリング」なる言葉を聞くようになった。時代の流れが速くなってしまい学生時代に修得した知識やスキルでは高齢化社会の現代において到底70歳、80歳まで現役で仕事が出来ないのが明らかで、そうなると私たちは人生のどこかで知識・スキルのリニューアルが必要だということなのだろう。

そうは言っても果たして仕事を一旦止めて、その「リスキリング」なることにチャレンジできる人は恵まれているといえるだろう。感覚的には会社が承知してくれる期待は薄いし、そうなると会社を辞めるというリスクを背負わなければいけなくもなる。スキマ時間を使ってちょびちょびとスキルをアップデイトするという手が現実的という人がほとんどだろう。

私の場合はというと、つい2年ほど前に管理職から離れることになったこともあり幸いにして副業を始めることができたのであるが、今般その勢い(?)で大学院に入学することになった。なんと恵まれていることか!

さすがに上司に内緒というわけにもいかず、恐る恐るその旨を報告したところ「よいことだ」と承知してくれた。やはり私は恵まれた環境にあるようだ。

然るに、この4月からは大学院生として、大学を卒業したばかりの人たちに混ざって授業を受けている。

肝心の幸福度についてなのだが、早朝から仕事を始めそれが終わると大学に行って授業、宿題をおみやげに、夜遅くに帰宅、、、。幸せになったハズだ、きっと。

以上

コメント

タイトルとURLをコピーしました