ランダム化比較試験(randomized controlled trial、RCT)

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「コスパ最強」なんて言葉を最近よく耳にするようになった。おいしい料理であってもフェアな評価をするには、その価格がいくらかということで考えないとおかしく、単に味だけで高級料理とB級料理は比較できない。最近は時間効率を踏まえた「タイパ」という言葉も出てきたようだ。

「コスパ」「タイパ」という視点でみると、医薬品の承認申請というのは褒められたものではないだろう。日本製薬工業協会の調べたところによると、1つの医薬品が承認されるまで平均10年以上の時間と、費用として数百億円から数千億円規模が掛かっているという。

内訳をみると、まずはヒトへ投与するテストを開始するまでに候補とされた1万の化合物のうちわずか1つ、0.01%に淘汰され、ここまでに数年を要したのち、ヒトへの投与テストはフェーズ1,フェーズ2、フェーズ3に分かれ、健常なヒトへの投与から徐々に実際に病気に掛かっている人へのテストへ移行することになる。

何故にここまで慎重を要するのかといえば、やはり命に直接的にかかわる“商品”だからだろう。体内に入れるという意味では食品も同じだが、危険性のレベル感も違えば、やはり存在意義として病気に「効く」ことが証明されなければ、患者側としては決して世に出てほしくないというのも実際のところだ。

この最終テスト、つまりフェーズ3で行われるテストというのがRCT、ランダム化比較試験である。これは医薬品候補が実際に「効く」かどうかを調べる打ち手として、極めて秀逸、人類の大発見といってよいと私は受け止めている。当該医薬品候補を処方するかどうかを、コインを投げてそのウラオモテで決める。もちろん実際にはコインを投げるのではなく、当該医薬品候補の処方群に選ばれる確率が50%になるようプログラムで算出するのだが、この無作為性がキモである。決して、「効きそうな人」とか「重い症状の人」を人為的に選んだりしない。

こうすることで当該の医薬品候補群と、比較対照群(つまり選ばれなかった群)とをガチンコで比較することが出来るというわけだ。比較対照群は、何も治療行為をしないというのではなく、医薬品候補群とは見た目で区別の出来ない偽薬(ニセ薬)が投与されるのが基本だ。既に既存の治療薬がある場合などは比較対照群を既存治療薬処方群とすることも多い。

少しばかり比較妥当性を損なう施しが用意されていて、それは治療を途中でやめたり、テストの開始時とは別の群の治療に変更したりすることを許す点だ。このような被験者(テストを受けている人)の取り扱いは厄介なことになる。

たとえばA群の100例のうち、強烈な副作用に見舞われ50例が治療完遂できなかったとする。その副作用が出なかった、あるいは乗り越えられた残りの群が50例あって、その50例は完全に治ったとしたら、有効率は50%なのか、それとも100%なのか。

これほど極端な結果ではないにせよ、途中変更例は悩ましい課題となる。その点、EBPMやA/Bテストと呼称される、RCTを模した政策やマーケティングの意思決定テストではこのような問題が生じることはあまりないことだろう。

一方で比較妥当性を最優先した場合、ランダム化比較試験は悪しき「人体実験」なるものに姿を変えてしまうことになる。いかなる事由があっても最初に割り付けられた治療を継続する、というのは戦時中において捕虜となった敵の軍人で行われたという話も聞いたことがある。これは決して倫理的に許されるものではない。

誤解を恐れずにいえばランダム化比較試験なる人類の“発明”は、いわば「倫理面と実現可能性を考慮した、人体実験もどき」であろうか。既存治療では治る見込みのない人にとってこのテスト参加は大チャンスである一方、思わぬ不利益を被る可能性もある。

医薬品が「効く」かどうかを調べる方法としてRCTがいかに優れた方法であったとして、それでもなお「コスパ」「タイパ」はいただけない。承認されるまでの道のりが例えば1か月早まることで、ひょっとしたらもっと多くの人への福音となり、多くの命を延命できる可能性もあるからだ。実際の医療現場由来のデータ(Real World Data、RWD)の活用には医薬品承認までのコスト減、時短の期待があり最近大いに注目されているのはこのためだ。

以上

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