二重盲検法( Double blind test )

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休暇を利用して福島県にある猪苗代駅についてみると、そこには「等身大の野口英世」なる写真が飾られてある。未だ日本の医療者として最も有名人の一人である彼はここでは地元の名士だ。

お札にもなった彼ではあるが、福岡伸一先生の著書「生物と無生物のあいだ」を読むと、未だステレオタイプの“偉大な医学の研究者”という認識なのは日本だけのようである。彼の業績を評してロックフェラー大学は“多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものだった”と定期刊行誌の中で皮肉に満ちた評価をしている。

福岡先生の本には「見ようとして見えなかったもの」と小見出しとして、その“病原”の観察には疾患発症群には観察され、非疾患発症群には観察されないモノをとらえなければならないこと、そのサンプルは多くなければならないことを科学の技法として紹介している。

野口は、果たして見えていなかったものを「見た」と発表したのか、それとも疾患群にも非疾患群にもどちらにも見えたものを―非疾患群で見えたことを見えなかったこととして―「見た」としたのか、そのあたりのことはわからない。

あるいは野口はその“病原”をウソ偽りなく、本当に「見た」のかもしれない。疑心暗鬼を生ず、という言葉もあるように、人の能力(またの名を“不具合”ともいう)は私たちの想定を超えているところがあるようだ。幻覚や幻聴はさして珍しい症状ではない。

思えば「スモン」として恐れられた、キノホルム製剤による副作用もまた、日本の研究者らがそのウィルスを発見した、ということで当時の新聞記事の一面を飾ったことがある。その帰結として、つまり現代におけるCovid-19のような感染症であるという誤解が広がってしまい悲劇はさらに広がってしまった。研究者らがみたウィルスとは何だったのか、「そこにあるハズだ」という思い込みは、見えないものを見てしまう力があるようだ。

医薬品の承認審査における無作為化臨床試験、RCTは「二重盲検法」を用いて行うことが基本となっているのはこれを防ぐためである。つまり、被験者である患者は新薬候補であるモノと、その偽薬(あるいは既存の標準薬)のどちらが処方されているかは知らされない。「プラセボ効果」という言葉は有名で、プラセボ(=偽薬)であっても、医者から「効きますよ」と言われれば、それなりに有効率が高まるというのがこの心理現象である。

加えて、当該の医師にもそれが新薬候補なのかそれとも対照薬(プラセボまたは既存の標準薬)なのかも知らされない。もしこれが医師にわかってしまうと、「こちらの方が効くハズだ」という先入観から、バイアスのある評価をしてしまう恐れがあるからである。

然るに被験者である患者にも、研究実施者である医師にもそれがどちらか知らされないということで、ダブルのブラインドをかけているというわけである。

中立かつフェアな評定というのはこれほどまでに厳格でなければならない。それゆえに、テレビ番組でよくある「一流料理人がジャッジする」なんていう企画の中で審査者が「うまい!」と審査結果を出す前に口にしたり、隣の審査者に「おいしいね」と話しかけたりする様をみるとどうもガッカリしてしまう。もちろんこれは治験ではなく、TVショー、エンターテイメントなのだとわかってはいるのだが。

以上

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