敵意帰属バイアス( Hostile attribution bias )

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満員電車は辛いものである。群衆に押し込まれて偶発的に自分の前の人をやむを得ず押してしまうことがあるが、その人が「わざとやったに違いない」と思い込んでしまい、意図的に私をひじで突きかえす。やれやれ。満員電車をよく使っている人ならば、よくあることだ。

このような思い込みは敵意帰属バイアスと呼称される、認知バイアスの一種である。認知バイアスがひどい人になると、自分とは異なる意見を聞いただけで怒り沸騰、ということもよくあるようだ。

先日、人気お笑いタレントのM氏に対して「あまりにお笑い番組の審査員をしすぎている」という発言をしたタレントが、周囲から多いに批判されたという一件があったのだが、この一件がどうにもスッキリしない。社会的分断やいじめ問題の構図が見え隠れしてしまうのだ。

背景事情をよく知る人ならば恐らくは異なる視点での受け止め方もあるだろうが、少なくともこの意見について一般には「ある一意見」に過ぎないと見てとれる。私自身はこの意見には賛成ではない。なぜならば、その昔、お笑いの何たるかも知らないような審査員が的外れな評価をする番組が多くてガッカリしていたことが多かったからだ。M氏が頻繁に審査員をするのはあの時代よりもはるかにマシだ。

問題行動に思えたのはこの意見に対しておそらくは傷ついた、そしてM氏を守ろうという“正義感”が働いた別のタレントの発言である。そのタレントはお笑い芸人であるにも関わらず、ユーモアでレスポンスするのではなく、明らかに相手を傷つけようという意図をもった、ひどい悪口のコメントしたのである。これには驚いた。

さらには、この行動に対して「M氏を守ろうとした行動で、男をあげた」とする報道があったことだ。これにはもっと驚いた。報道筋であるならば、認知バイアス、敵意帰属バイアスくらいは理解したうえで構図を概観し報道して欲しいものであるが、おそらくこのような理解が社会一般のものなのだろうと思え、それがさらに悲しいのである。

かくして「ある一意見」は、「敵意がある」と認識され、「ある一意見」の話者は悪者ということで、悪者を退治する正義の行動ということで様々な攻撃を受けることになる。「何様だ」「こいつのネタで笑ったことがない」等々。もはやその一意見がどうこうというところを離れて人格まで攻撃されてしまう。良心の呵責もなく、だ。

そしてまたこうした攻撃は「正しいこと」と認知され、エスカレートする。「ただの一意見ではないか」などと発言しようものなら、その人さえ攻撃されることだろう。このようにして社会的分断、いじめは起きるのだなと思えて悲しいのである。

認知バイアス、特に敵意帰属バイアスという言葉をどうにか社会に周知できないものだろうか。こうすることで異なる意見に対する寛容度は高くなるだろうし、シンプルに「この人の意見は私の意見とは違うな」で済む可能性も高くなるハズだ。

反対意見を言われて傷つく→傷つけた相手は私に対して敵意がある→仕返しをして構わない、というループに陥ったりはしていないだろうか。私たちの誰もがこれに気づけるようになるためにも認知バイアスという概念の存在が広く“認知”されることを望んでやまない。

以上

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