パレイドリア現象( Pareidoria )

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人は事象を認知する際に、そのものを認知することが出来ない。これは認知バイアスという、私たちの中に多かれ少なかれある“色めがね”でしか物事をとらえることができないからだ。賛成意見を言われただけなのに「ワタシに好意があるのかしら」と感じたり、反対意見を言われただけで、「ワタシを傷つけようとしている」と思い違いをしたりする。

パレイドリア現象というのは、視覚や聴覚に関する認知バイアスといえるだろう。ひと昔前に人面魚(じんめんぎょ)が話題になったが、「ひとの顔のようにみえて仕方がない」、このような現象の総称のことである。

よく入院する、というと変だが、体が弱いせいか時折、病院の厄介になるのだが、その病室のコンセントがどうにもマントヒヒに見えて仕方がない。差込口のところ全体が赤色で、差込口は黒色、そしてその赤色の周囲が太めの白色で囲んでいるさまは、マントヒヒの顔、そのものだ。

よく聞くフレーズにもこのパレイドリア現象は発生する。特に自分の名前に関する聞き間違えは誰にでもあることだろう。私は「アオキさん」だが、「オオキさん」や「大きさ」といった言葉でも不意に反応したりする。

パレイドリアの中でも3つの点が配置されていることでヒトの顔に見えてしまう現象はシミュラクラ現象という名称がついている。より詳しく知りたい人はWebや、ChatGPTに質問してみるといいだろう。

くれぐれも私たちが心掛けたいのは、私たちは色めがねでしか物事を見たり聞いたりすることしかできないことを自覚することだろう。他人が見ている赤色は自分が見ている赤色と同じものであるという保証はない。

然るに、「何より経験してみることだ」という論調には少しばかり慎重になる必要もあるだろう。もちろん、体験することではじめてわかることは確かにある。一方で、「自分がこの目で見たのだから間違いない」という主張そのものにはウソ偽りがなくても、幻聴や幻視でなかったかは証明することが難しい。

「ボクは、自分で経験したことしか信じないんです。」

以前、同じ部署にいた人が口グセのようによく言っていた言葉であるが、いつもなんて返したらいいのか困ったことを思い出す。およそこの人は自分が色めがねをかけていることに全くもって無自覚なのだろう。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」、こんな言葉もありますよ、と伝えておいた方がよかっただろうか。

以上

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