神学(theology)

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「どうして地震が起きるの?」

好奇心旺盛な子供たちにこのように聞かれたとき、私たちは何と答えるだろう。科学の進歩した現代においては、この問いについてもっとも的確に答えることが出来る人がいる。それが「地震学者」だ。

このようにして、俗にいう科学者は様々な分野において専門家として活躍する。鳥の不思議な行動をみて「求愛行動」とするのは生物学者にカテゴライズする鳥類学者であり、天体の疑問に答えてくれるのは天文学者である。科学の何とありがたいことか。

私たちがもし1000年ほど前の、「科学」が生まれる前に生を受けたとしたら、「どうして地震が起きるの?」に対するもっとも妥当な答えの1つとして神仏のような存在が「お怒りになっている」という説にすがりついていた可能性が高いだろう。震災は悪魔的であり、雷鳴や津波、大地震はヒトが発狂しているかのように恐ろしく、残酷だ。

私たちの祖先は日常の中で湧いてくる幾つもの疑問の中の多くを、このようにして神様であるとか、あるいはその逆に悪魔のような存在があるものとして説明しようとしたのだろう。その意味では「神学」なる学問が西洋においては随分と長いこと学問領域として存在していたということに非常に納得するところである。

それどころか、現代においてもニーチェが言うように「神は死んだ」ということにはなっていない。聞くところによるとアメリカではダーウィンの進化論よりも、地球を創造した形而上学的な存在を指示する人が相当量いるようで、学校の教科書にもこの両論を併記すべきという運動を今も続けているらしい。

確かに「地球を創造した者がいる」説を否定できる証拠は無いし、これからもそのようなものが出てくるとは到底思えない。何故ならば神学とは科学ではないからだ。

カール・ポパーは科学とは何かという問いに対して、「反証可能性があること」とした。つまりは論理的合理性の中でそれが否定しえる可能性が無ければ科学ではないというわけだ。然るに「神は存在している」論については反証可能性が無く、科学ではない。

そうはいっても、無神論者である私が神学を否定するというのは、公正な姿勢といえるのだろうかというと怪しくもある。単なるポジショントークと批判されても反論のしようが思いつかない。言えることがあるとすれば、このように自身の説を自らが批判的に、その欠点を自覚できていることくらいである。

自身の説のlimitation、限界について自らが批判的に吟味する姿勢。私はこうした姿勢を全人類に期待してしまうのだが、、、、これをきっと神学の人たちは「科学教の信者」だな、と、思想や宗教の一団体のようにして認識するのだろうな。

以上

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