リサーチクエスチョン(research question)

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コンプライアンスだとかガバナンスだとか、外来語をそのままカタカナ表記する文化が当たり前のことになって久しい。私もさすがに戦前生まれというわけではないので、既にこうした文化の中で暮らしているわけだが、出来るならば頑張って日本語訳する文化が復活してくれないかなと願ったりもしている

例えば、野球においてhitは「安打」、pitcherは「投手」、そんな風に命名されたおかげで野球ファン、あるいは野球のニュースを伝える報道機関はその文字数の少なさに多いに恩恵を受けているハズだ。そもそも「野球」だって、その日本語がなくベースボールという呼称しかなかったら文字数がかさばって仕方がないことだろう。

研究分野において「リサーチクエスチョン」という言葉は基本的にカタカナ表記で語られるのだが、もしこれを日本語に訳したとしたらどんな言葉が適切なのだろうかと考えてみる。「研究上の問い」あるいは「調査疑問」「研究対象課題」といったところだろうか。日本語訳しなくなった理由はこのように、完全に1対1の言葉が該当しないということもありそうだ。

私もこれまで幾度か「リサーチクエスチョンについて」というお題で講演させて頂いたことがあるのだが、そこでの説明は「疑問を調べられるようなカタチにしたものです」としている。

例えば、「私は幸せかしら」とか、「AさんとBさんはどちらが忙しいかな」といった疑問についてはそのままで調べることが出来ない。「幸せ」をどのようにして調べるのか、どのような指標が相応しいのかを吟味して出来上がるのが「リサーチクエスチョン」というわけだ。

つまり、そこには何らかのモノサシ、測定指標が必要になってくる。「忙しさ」を測るには「残業時間」を比較すればいいだろうか、測定する期間は過去1週間でもいいのか、それとも過去2年分くらいは比べた方がいいのだろうか、と、こんな具合である。

そうなってくるとやはり何らかの工夫あるいは妥協、あきらめが肝心である。例えば「忙しさ」というならば、Aさんは独身だけどBさんの方は5歳と1歳の子供がいて、なんてことになると「残業時間」という指標が相応しいのかどうかという話になってくる。

つまりはリサーチクエスチョンを設定するうえでそのモノサシだけでは足りない。どうしてそのモノサシで測れるというのか、説明責任を果たさないといけないというわけだ。

説明責任といっても別に行政担当官や芸能事務所の「謝罪」みたいなものではなく、「だって、2年分のデータはないし、この1週間分のデータならあるから」といった言い訳がましい理屈もまた、選んだモノサシや観察期間の説明としては妥当だ、ということもある。

リアルワールドデータ(RWD)を扱う研究などはその「言い訳」のオンパレードともいえるだろう。データにない期間のものは調べることが出来ないし、データにない項目―例えば体温だとか喫煙習慣だとか―はすごく調べたくても調べることができない。

もちろんその理由があまりに無茶ということであれば、研究すること自体をあきらめざるを得ないということになるだろう。「それでもやはり参考にはなる」とみなされて初めて研究をやる意味がある。

まとめると、「リサーチクエスチョン」にはその測定のモノサシや研究する期間、対象症例の定義などに加えて、どうしてそのようなセッティングでヨシとしたのかという理由、言い訳が含有される概念ということになる。やっぱりこれだと日本語に訳すのは無理かも。

以上

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