病気(disease)

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どうも最近、耳の聞こえがよくない。完全なオンライン会議の場合はヘッドフォンで聞くことになるので問題がないのだが、リアル会議の場合はそうもいかない。広めの会議室だと遠くの人の発話がよく聞き取れないのだ。

大学での講義もそうだ。先生の声はマイクが拾ってくれるので問題ないのだが、学生側から質問があった際その内容理解までにおよばないこともある。さらに困ったことには未だにマスクをしている人も多く、口の動きを手掛かりにすることが出来ないばかりか、ときには発話している人が誰なのか判断が出来ないことさえある。

要するに年をとったということなのだろう。前向きにとらえれば既に10代の頃から近視が進んでしまい眼鏡やコンタクトが必需品となったことと比べれば、私の耳は私の目よりも頑張ってくれたと思えなくもない。

あるいは私の難聴は遺伝性ということもあるのかもしれない。昨年、両親ともに補聴器を新調してあげたのだが、どうやら補聴器というのは数年で有効性が劣化するらしく、私もどうやらその入り口に差し掛かっているように思える。

ところで、どうして補聴器や眼鏡、コンタクトレンズは医療費ではないのだろう。両親分の補聴器に掛かった費用は数十万円にもなるし、これまでコンタクトレンズに要した費用もかなりの金額になるハズだ。

そもそもの問題の源泉は「病気」をどのように定義するのか、誰がそれを決めているのか、ということだろう。高血圧や高脂血症は病気であって、近視や難聴は何故、病気扱いにはならないのか、という話である。

製薬企業はときに口の悪い人から「病気作り産業」と揶揄されることがある。確かに以前は高血圧の定義は160(収縮期血圧160mmHg)以上だったものが、いまは140である。定義が変わったことで高血圧に罹患している人は莫大に増えたはずである。アメリカでは130mmHgが高血圧定義だとも聞く。

もちろん、こうした病気定義の基準値をいい加減に決めているわけではないのだろうが、今のところはその高血圧定義に該当せず、近視と難聴に悩める私にとってはどうにも不公平感を感じざるをえない。

とはいうものの、製薬企業に務めている身としては病気の定義に難癖(なんくせ)をつけるのは立場上、はばかられるところでもある。

ということで、難聴が病気でないことに不満を抱えている、というのは「組織を代表する意見ではなく、あくまで私個人の意見です」。昨今の学会等でのプレゼンでは決まってこうした“宣言”を冒頭にするのがお決まりの作法である。

以上

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