パーパス(purpose)

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英語の授業では「purpose」といえば「目的」という日本語で覚えさせられたものだが、このところは「パーパス経営」などという言葉がバズったせいか、パーパスといえば「存在意義」というニュアンスで使うことの方が多いようである。

何故に「パーパス経営」という言葉がバズったのかといえば、要するに企業がしばしば「存在意義を見失いかける」からであろう。起業したときの思いなどが忘れ去られ、売り上げ至上主義に陥ってしまうというのが典型的な例である。

会社の存在意義が忘れがちになる過程には株主の存在も大きいような気がしている。株主のほとんどは当該企業の株価があがることにばかり興味があるのが常で、然るにそれは会社の売り上げ至上主義を促進する。故に企業側も来期目標に売上高や利益率などを掲げることになるわけで、そう考えると株式上場しないという選択肢も「パーパス経営」を成すうえでは選択肢の1つといえるかもしれない。

このところはベンチャー企業のコンサルタント業なども行っているのだが、さすがに会社の立ち上げ当初はその「パーパス」はクリアなようで、基本的には何らかの社会的課題を解決するために立ち上げたのだ、という意識と熱量でヒトは起業するようだ。

そうはいっても現実は厳しいもので、思うようにビジネスが進まなくなってしまい赤字経営が見えてくると短期的には「売り上げ至上主義」、企業の存在意義を問うような余裕もなく、気乗りがしない仕事も請け負わざるを得ないという現実もあるだろう。

こうした現実と企業の存在意義との折り合いをつけるうえでは、儲かるビジネスと、さほど儲からない、ひょっとしたら損失しか出ないビジネスとを両方手掛けるという打ち手もありそうだ。「損失しか出ないが社会課題の解決のためには大切」なことは世の中にたくさんある。

もちろん、「存在意義」を改めて問いただす意義はなにも企業の経営に限ったものではないだろう。私もしばしば「あなたが働く理由は何ですか?」と講演の中で問いかけるようなことがあり、これは聴講者に対して働く意味合いの「パーパス」を伺っていることに他ならない。

もちろん、働くことは生活のために賃金を得るという目的が先立つというところはあるのだろうが、それでも世の中に数多とある職種や会社の中から選んだということはそれ以外の「あなたにとっての働く意義」が別にあるハズだ。

私は製薬企業の医薬品安全性管理部門、有り体にいえば「副作用の監視」機能で長いこと働いているのだが、行政へ提出しなければならない書類等が膨大にあって、気が付くと「規制要件ファースト」「行政ファースト」に陥りがちな機能である。

それ故に働くことの意義を問いただす意義は大きい。副作用に苦しむ人を一人でも減らす。とてもわかりやすい存在意義であり、およそ新入社員が入社したときにはそのパーパスはハッキリとしているのだろうが、業務に忙殺されるとそれがどうも消えかかってしまうようだ。

ところで、私がこうしてブログを連載した動機というのが「科学の普及」である。地球の裏側でバタフライが羽ばたく程度のちっぽけなアクションでしかないが、ひょっとしたらその目的の達成に貢献できるかもしれない、なんて思いつつ、日常に忙殺されてくるとそんなパーパスがあったことが多分に漏れずどうにも忘れがちになってしまう。

以上

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