認知的不協和(cognitive dissonancet)

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パーソナルコンピュータ(PC)が出だした頃は、特に私がプログラマーの仕事をしていたせいもあってか、「正しく指示すれば、正しく動作する」優れモノの相棒という印象をもっていたものだ。

人間はそういうわけにはいかない。不機嫌なときがあったり体調不良だったりで、通常通りのパフォーマンスをPCと同じように期待できない、というわけだ。

ところがこのところのPCときたら、随分と人間っぽいというか、同じ指示をしても正しくアクションしてくれないことが当たり前になった印象である。

もちろん、プログラムの世界の話ではなく、オンライン通信の話である。eメールだとかインターネットだとかが浸透するにつれPCというのは汎用計算機という色彩が薄れ、その主だった仕事は「通信」にさし変わってしまったのだが、この「通信機」としてのPCの挙動がどうにも人間っぽいというわけである。

具体的には、仮に正しく人間がセッティングしたからといってオンライン通信が確実に行われるとは限らない。重要な(オンライン)会議だというのに、どういうわけだかつながらなかったり、発話しても相手に音声が聞こえなかったりという経験は誰にもあるだろう。

先日、いつものヘッドセット(マイク付きのヘッドフォン)でオンライン会議のために通信を試みたのだが、どうやっても相手の声が聞こえない。仕方がないのでその際はパーソナルのPCをつないで事なきを得たのであるが、「声が聞こえないのはヘッドセットのせい」ということで仕方なく新しいヘッドセットを買うことになった。

ただ、新しいヘッドセットはちょっと大きめで見栄えがあまりよくなく、髪形にも支障が出てしまう。そこで古いヘッドセットを試しにつなげてみたところ、なんと問題なく相手の声が聞こえるではないか!

要するに先日「音がしない、声が聞こえない」という不具合は、通信状態等、別の理由があったようで、結果的にヘッドセットを2台持つことになった。

新しいヘッドセットの方はノイズリダクション(ノイズの音を下げる)機能があるせいか音の質がよい。ヘッドフォンとして日常使いもできるし悪い買い物ではなかったと思いたい。

こういう話を、先日講演してきたことを思い出した。認知的不協和理論である。

認知的不協和とは、自分の中の認知と認知がぶつかって不協和音をもたらすことである。本来、買う必要の無かった新しいヘッドセットは余計な買い物であり、それは「失敗」である。理想の自分(ヘッドセットを新たに買わずに済んだ自分)と現実の自分とのギャップ、これが認知的不協和である。

自分の中でそれを認めたくないがゆえ「これは成功である」とする心理は、自分の中の不協和音、認知的不協和を解消するための認知行動というわけだ。

、、、だけど今回の場合は本当にそうだろうか。事前の知識があるせいで、勝手に頭の中から「認知的不協和」という言葉が先に思い起こされているだけにも思える。「認知的不協和を起こした私」なのか、「認知的不協和を実際には起こしていない私」なのか、そこにまた不協和が生じている。

以上

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