経済学分野で利用される言葉、「効用」というのは、簡単にいえば「幸福度」や「満足度」のことだ。私たちは何らかの意思決定が必要となる場面において、その効用が最大になると期待できる方を常に選択する、というのが経済学での大前提だ。
日常のシーンを思い浮かべながらその「効用」の期待が最大になる、とはどういうことか考えてみよう。
まずは朝。ぼんやりと目が覚める。目覚まし時計をみるとまだ5時だ。ここで「起きる」という選択肢と「寝なおす」という二者択一から「効用が最大になる方を選ぶ」わけだ。当然、「寝なおす」だろう。
今度は目覚まし時計が7時のときに目が覚めたとしよう。まだ寝ていたいから効用が最大になるのはやはり「寝なおす」、と言いたいところだがそれでは学校や会社に遅刻してしまう、としたらばどうだろうか。そのあとに訪れるところの悲劇を想像するに、これはもう「寝なおす」という選択肢はない。「起きる」が総合評価として効用値を高める選択肢だ。
朝食は、自身で作る人と人に作ってもらう人、あるいは既に昨夜、朝食用のパンを買ってある人などがいてシチュエーションとしては様々だが、仮にホテルに宿泊していたとしよう。洋食か和食が選べるらしい。効用を高めるのはどちらだろうか。
ここでは何より「おいしさ」で選ぶ、シンプルな判断でいいだろう。いや、まてよ。栄養バランスも大切ではないか。あるいはカロリーの取り過ぎについても考慮する必要があるだろう。家族旅行であれば家族の調和も判断材料だ。
こんな感じ。人が効用を最大にして常に言動を行うという仮説のことを「期待効用仮説」と呼称する。ただ、実際には「常に」そのような判断をしているかと言えばそんなことはないだろう、としたのが先日お亡くなりになった行動経済学の父、ダニエル・カーネマンである。心理学専門である氏は「期待効用仮説」に心理学の視点を取り入れて期待効用理論を上書きし更新した。
もちろん、我々もカーネマンに言われるまでもなく期待効用仮説に反した行動をするときがあることを自覚している。朝7時、もう起きなければ会社には間に合わないと知りつつ、二度寝することはあるだろう、、、いや、それはやはりその「眠たさ」の効用が普段より高いだけで、期待効用仮説に反してはいない選択なのかもしれない。
以上
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