経済学分野に心理学の視点を取り入れた学問、行動経済学においてその中核をなす概念の1つが損失回避性だろう。私たち人間はとにかく損失を恐れる。逆にいえば「ノーリスク」に対する思いが強すぎて強すぎてしばしば失敗する、というわけだ。
日本人はどうやら投資をしない人が多いらしく、余剰なお金は大抵、預貯金にまわる。これでは経済が活性化しないということで政府も手を変え品を変え、どうにか少しでも投資にお金がまわるような政策決定をするのだが、今回のNISA改訂などはいまのところうまく行っているようで、少しは株式市場にもお金が回るようになってきたようだ。
確かに株などというものは上がったり下がったりと、慣れていないと心を揺さぶるものである。雑誌広告などでは「10倍株」などといった言葉を“創作”して、「投資額の10倍に上がる期待の銘柄」が紹介されたりするが、これが眉唾であることは皆が知っていることだろう。
とにかく元本割れが許せないという人は一定量、いるらしく、期待値として仮に「10倍」の可能性があったとしても、元本が割れる可能性があるという理由だけで投資は一切しない、という人は私の周りにもおおい。案外とそのような人が宝くじを購入したりしていて、なんだか私には理解できないのだが。
もちろん「損失回避性」というのは我々日本人に限ったことではないらしく、これが万国共通であることが様々な実験からわかったということで今や経済理論になったというわけだ。簡単にいえば1万円を拾ったときのうれしさは、1万円を落としてしまったときの悲しさには到底、及ばないというわけだ。投資で損をしたときに脳の部位である扁桃核は、死の恐怖と同じくらいの反応をする、といった研究結果もある。
進化心理学という学問分野は「進化」に対する合理性の視点から世の中を整理するのだが、こちらの学問領域に言わせれば私たちの「損失回避性」は非合理ではなく、合理性があるらしい。野生の世界では食べ物を失うことは死につながることなので、同じ量の食べ物を獲得したときよりも失ったときの方が一大事、というわけだ。
ともかくとして行動経済学分野が明確なエビデンスをもってして「損失回避性」に基づいた選好を私たちがする、ということから、古典的な経済学の屋台骨、大前提となっていた「期待効用理論」は修正を余儀なくされてしまうことになった。「効用」の期待が高くなくても、ノーリスク主義のおかげで合理性の無さそうな高額な保険商品も売れることがあるわけだ。
一方の私はどうやらあまり損失回避性の特性を所有していないらしい。余剰金を預貯金にまわすということがほとんどなく、それはそれで問題行動なのかもしれない。
以上
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