黒い羊効果( black sheep effect )

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特に普段は「愛国心」などという言葉に対する意識はないのだが、ことオリンピックシーズンともなると、日本人選手の活躍が誇らしく、無条件に応援してしまうというのは私だけではないだろう。

倫理の視点からも愛国心は利他性、つまり他人のことを慮るという意味で「善い心」に分類されることだろう。しかしながら一方で、戦争状態にあってのそれはどうかという議論もある。

その意味にあって心理学分野の「内集団バイアス」であるとか、「内集団びいき」は「善い心」とウラハラの、“黒い”部分がある。「内集団バイアス」というのは、自分と同じ集団の人たちを実際よりも優れた人であると思い込む偏重であり、「内集団びいき」とは要するに自分と同じ集団の人を、自分とは違う集団の人よりも「ひいき」することだ。

こうした「身内」と「身内以外」に分類する特性のうち、特に“黒い”部分は俗にいうブラックシープ(黒い羊)効果だろう。自分とその身内がみな、「白い羊」であるならば、本来、仲間として認識すべきところの羊の中で、1匹の「黒い羊」は仲間として受け入れられずに排除されてしまう恐れがある。

もちろんこれは肌の色のことだけを取り上げている概念ではない。5人の仲良しグループがいたとして、1人だけが“推し”のアイドルが違うことで「黒い羊」として認識されてしまうこともある。また、1人だけがテストの点数が極端に低かったり、1人だけが貧しい家庭であることがわかったりと、「黒い羊」になる可能性は様々だ。

同じ集団のメンバーだと認識していた人が好ましくない言動をとると、集団全体の社会的評価を落としてしまう恐れが生じてしまう。つまり、集団と一体化している自身のアイデンティティが傷付けられてしまうため、「あなたは黒い羊であり、私たち白い羊とはちょっと違うようだね」として、排除の力学が働いてしまうのである。

お気づきのことだと思うがこれは「いじめ」の発生する構図のことだ。「いじめ」を行う人は、不良やアウトローといったタイプではなく、ごく普通の人が加害者となるというのも、こうした心理が誰にでもあるからといえるだろう。

最近はオリンピックの代表選手として、見た目が明らかに日本人の典型とは違う選手も増えてきた。名前もまた日本人の典型とは違い、カタカナ表記という選手もいる。彼ら彼女らは日本での暮らしにあって、排他的な扱いをひょっとしたら幾度も受けてきたのかもしれない。また、パラリンピックの選手は、いわば全ての選手が排他的な扱いを受けた経験があるかもしれない。自分がいじめの加害者には決してならないように、と強く念じる一方で、彼ら彼女らにはどうか強く生きて欲しいと願う。もちろん彼ら彼女らというのは代表に選ばれるようなスポットライトが当たっている人ばかりではなく、むしろそうではない人たちに対してである。

毎度オリンピック・パラリンピック大会を観戦しながらふと思い出されるのは、私の中に隠れていた愛国心と、さらにその影に隠れている「黒い羊」の姿なのである。

以上

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