BL0105 需要供給曲線( demand and supply curve )

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外食をすることが多いのだが、このところはお店に行く度に価格があがっている気がしている。

恐らくであるがこれは幻想だろう。子供を連れて祖父や祖母に久しぶりに合わせると決まって「また背がのびた?」なんて言われたりするが、我が家の息子はもう23歳、そんなはずはあるまい。

小太りな人もよく「また太った?」なんて言われる話もあるし、まあ、お店に行く度に価格が上がっているというわけでもないのかもしれない。

ものの金額は見えざる手が決める、と例えたのはアダム・スミスだ。この言葉はスミスの著書「国富論」に登場するものであまりにも有名だが、俗に使われている「神の見えざる手」とまでは「国富論」に登場していないらしい。

これを学問的に整理するならば「この金額なら注文する」という、需要側の金額を描写した需要曲線と、「この金額なら売ってよい」とする、売る側の供給曲線の交差するところに適正価格がある、と整理される。

その意味ではホテルのコーヒーが1000円だったとしても決してぼったくりということでは無いのだろう。当該のホテルラウンジにあっては1000円でコーヒーを出すことが900円で出すよりも1100円で出すよりも理にかなっていて、要するにもっとも多くの利益を上げる価格ということになる。

需要曲線と供給曲線を両方、グラフに描写したものが俗に需要供給曲線と呼ばれる。似たような概念で「市場均衡」だとか「パレート均衡」だとかいったものもある。

こうした売る側と買う側の思惑の一致が秒単位で行われているのが株式市場だ。私も株の売買はするのだが、以前は買った株が上がるか下がるかだけでなく、売った株が上がるか下がるかも無駄に気になったものである。要するに、「もうちょっと待てばさらに高く売れたかもしれない」と、後ろ髪を引かれる思いが強かったのである。

今はもうそのような感情に振り回されることはほとんどない。粛々と、当該の株が割安だと思ったら買い、高くなりすぎたと思ったら売る。基本的には無感情だ。この無感情が、何よりの必勝法といえるのかもしれない。あいにく、必勝というほどに勝率は高くないのだけれど。

以上

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