BL0131 暴力の独占( monopoly on violence )

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企業の力の源泉はヒトである、といった認識が当たり前となり各社とも「この会社に入社すれば成長できそう」と思わせることが出来なければなかなか優秀な人材を獲得できなくなってきているようだ。確かに既存の商品やサービスを維持し続けるだけでは企業の行く末は心許なく、然るに新たな商品・サービスを生み出すのはヒトなのであり、優秀な社員が集まることが何よりの競争優位性だろう。

人事研修も然り。以前はリアル開催前提であったためどうしても研修受講者に人数制限を設けなければならないということも多かったが、今ではオンライン資材を使って、社員の誰もが好きな時間にスキルアップのための研修を受けれるような会社も増えてきている。

あいさつやマナーの研修はもとより、論理的思考向上のためのロジカルチェックなども推奨されている。論理的思考の研修では「Why?」を5回、繰り返せ、といったような指導がなされ、物ごとの本質に迫る訓練がそこで行われる。例えば、日本の人口減少を問題として取り上げ、「何故(Why)そのような問題が起きたのか?」と問う。すると「産まれてくる子供が少ないから」といった答えが見つかる。

次いで「何故(Why)産まれてくる子供は少なくなったのか?」と問う。今度は「晩婚化が進んでいるから」とか「子だくさんという価値観がなくなった」あるいは「正社員が減ったから」などという答えが見つかる。そこでまた「何故(Why)そうなったのか?」と問う。これを5回やれば本質的課題にたどり着くというわけだ。

一方で、こうした研修の成果はどのくらいなのかについてはちょっと疑問がないでもない。私の周囲では、本質的に問題をとらえることが出来ないタイプの人もいるが、後天的に本質的な問題をとらえることが出来るようになったという人を知らないからだ。

かくいう私自身も「私は本質的な問題をとらえることが出来ます」などとは口が裂けても言えない。Why?を繰り返す回数が先天的に決まっているというわけでもないだろうが、例えばリンゴが木から落ちたことをみて、「もしかしたら地面が私たちを引っ張っているのではないか」など、とてもそのような真実を見抜くことなどおよそ死ぬまで出来そうに無い。

万有引力を発見したニュートンのこの逸話については、おそらく作り話だろうと言われているが、社会学者のマックス・ウェーバーが提唱した国家の何たるか、その定義として示した「暴力の独占」などはどうか。国家の何たるか、その本質に対してある主体が国家であるために必須となる条件は暴力の独占を保持することである、とした。

確かに警察や国防機能が民営化するということはちょっと考えられないだろう。警察が行う、犯人を捕まえるための警棒や拳銃の利用は許され、法が裁くところの死刑執行は許される。もちろん、アウトソーシングとしてのボディーガードや警備員はいるが、こうした暴力行為を許される職務もまた法(警備業法など)が定めている。

どうしてこのような本質をニュートンやウェーバーが見抜けるのだろうかと考えてみると、あまりに自分との才能の違いもあって「天分に違いない」と思いたくなる。それでは自分の成長力を否定するので良くないな、他に何らか国家を規定するものは無いかなと考えていたら1つだけ思いついた。

それは「ギャンブルの胴元」。競馬や競輪の主催を国家が行うことは許されており、国や自治体の重要な収入源となる。一方で、バカラや賭博、オンラインカジノは犯罪となる。

これに気付いたことが何の役に立つのだろうかと、ひまな時にWhy?を5回繰り返してみたい。

以上

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