逃げたら1つ、進めば2つ
アニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』で主人公らがしばしば言うセリフで「困難なことから逃げれば安心安全が手に入るが、挑戦すればそれ以上のものを手に入れることができる」といった意味合いで使われている。だが、挑戦とは常に良いことなのだろうか。挑戦して失敗することもある。しかし、何かから逃げるよりも挑戦し続けた方が期待値としては大きい、という意味合いとしては納得できる部分もある。まあ、逃げても1つは手に入るので、そういう選択を否定する言葉ではないとも思うが。
人間は後悔する生き物である。それは何かを失った結果かもしれないし、得られたものが少なかった、もっと大きな利益を得られたという類の後悔かもしれない。後悔しているときは基本的に「あの時別の選択をしていれば…」と考えるわけだが、この「別の選択」によって得られたはずの利益を「機会費用」という。
機会費用には「捕らぬ狸の皮算用」的な側面があり、実現していない利益を正確に知ることは難しい。例えば、特定の株式に投資していれば得られた利益などであれば、明確に数値として知ることができる。一方で、パラレルワールドを見る目でもない限り、自分が考えたビジネスに挑戦した場合に得られた利益などを正確に知ることはできないので、機会費用を明確に数値化できない場合もある。
経済学における合理的な選択とは自身の効用(幸福)を最大化することにあり、機会費用という概念もまた単なる金銭的な費用だけを示す言葉ではない。例えば時給1500円の仕事を1時間行うのと余暇を1時間過ごすのはどちらが良いかを比べるとしよう。余暇を1時間過ごすと仕事で得られたはずの1500円を得られない。このため、余暇を1時間過ごす機会費用は1500円に見えるかもしれない。では仕事を1時間した方が合理的なのだろうか。しかし効用という点で見ると、仕事をして労苦が発生するのであればその分を引かなければならず、また余暇とは基本的に効用を増加させるものである。そのため、1500円―労苦と余暇の効用を比較し、より効用が大きい方を選ぶのが経済合理性である。もちろん仕事が楽しいのであれば、仕事をしなかった場合の機会費用は大きくなる。経済学の想定する合理的経済人とは、こうした複雑かつ抽象的な機会費用について検討し、常に最も効用を最大化する選択肢を選ぶ超人なのである。
ニッコロ・マキャベリの『君主論』第25章によると、挑戦的な性格や回避的な性格は時代に合うかどうかによって成否が分かれるものの、彼個人としては挑戦的な性格の方が成功する確率が高いと考えているようだ。まさに「逃げたら1つ、進めば2つ」といったところか。機会費用という概念は得られるチャンスを逃すまいとする人類の積極性を感じさせる。ガンダムの世界観ではないが、宇宙にさえ進出しようする人類はそもそも挑戦的な性格の持ち主なのかもしれない。
(オウセイ)
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