年末になると街中がクリスマス一色になる。日本ではキリスト教の信者はそんなに多くないかもしれないが、“クリスマス教(狂?)”の人はたくさんいるようで、ディズニーランドではハロウィンが終わった11月にはもうそれらしい演出が始まるようで、アドベントカレンダーなどは11月1日をスタートにした方が良いかもしれない。
クリスマスらしさ、というのは概念的でうまく言語化できる人は、それなりの話術や論理学に心得がある人に違いないだろう。「らしさ」とはそういうもので、定義は難しいのだけれど、それらしいものに触れると誰もが「クリスマスらしさ」に気付けるというのが面白い。
色彩だけ切り取ってみれば、クリスマスらしさというのは赤色と緑色を使ったものがそれらしい。少し気になるのが色彩の判別が出来ない、苦手であるという人は一定数いてその配慮に欠けるのではないかと思えるところである。
赤色と緑色の識別が難しいというのは「赤緑色彩異常」とされ、日本の人口の2-3%がこれに該当するとされる。特に男性に多く、20人に1人、5%にあたる人が該当するので決してレアなわけではない。
最近は障害のある人への配慮のみならず、高齢化社会が進んだこともあってか、車いすで移動する人も増え、こうした人たちへの配慮としてバリアフリーがかなり進んできた印象である。新たに階段を設置するときには、その横にスロープを設置することが当たり前になりつつある。
万人にとってなるべく不便のない配慮をするデザインのことは「ユニバーサルデザイン」という言葉が登場していて、もはやかなり市民権を得た概念といっていいだろう。その代表選手がバリアフリーといったところだろうか。因みに、「ユニバーサル」は日本語で「普遍」という訳語があり、だとすると「普遍デザイン」となる。何だか哲学度が増す感じだろうか。「デザイン」には「意匠(いしょう)」という日本語訳があるので、お笑いコンビの「すゑひろがりず」に言わせたら「普遍意匠」となるだろう。何だかもうわからない。
然るに、色の判別が困難な人に向けてはなるべく赤い色と緑色とを一緒に使わないように配慮がされるべきであり、それこそがユニバーサルデザインの精神ということであろう。そうは言っても、随分と長い歴史と慣習のある“クリスマス色彩”を、では赤色と白色にしましょうというのは抵抗があるし、黒色と白色にしましょうというのはもっと抵抗があるし、さて、どうしたものだろうか。
以上


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