幸福になりたいならば現実を直視しない方がよいかもしれない。漫才師ドンデコルテのネタではないが、現実をスワイプした方が幸せだということは一理あるだろう。
映画「マトリックス」は現実ではない、非現実世界を誰もがそれと気づかず現実世界であるかのように勘違いさせるという世界を描いたもので、これはある意味において“認知革命”の提案のようでもあった。実際のところ、結婚詐欺にあっていたとしても、死ぬまでそれに気づくことが出来なければそれは詐欺というよりも幸せな結婚生活だったりもするだろう。「リア充」といった言葉がバズったこともあるが、リアルの生活が充実している人が少数派だからこそ、物珍しいということで「リア充」という言葉が生まれたとも言える。つまりはリア充でない人であってもネットゲームの中ではリーダーであったりしていればその人の幸福に多いに貢献する。つまり幸福とは「思い込み」でも成立するというわけだ。
ダニング=クルーガー効果というのは認知バイアスの一種であり、案外と“残念な人”に限って、自分を過大評価してしまうというものである。心理学者のダニングとクルーガーとが提唱したのでこのように呼称される。
確かに、教養高い人というのは一般論として多くの知恵・知識があり、自身を客観視することが難しい場合の対比策などを知っている可能性が高いということは言えるのだろう。他の人がどのように感じているだろうかということの視点が自分の中にあれば、自分を過大評価する可能性を回避できることもある。もちろんパワハラやセクハラで社会的ポジションを奪われたりするような人はこのように自分を客観視するには、といった視点におよそ全くといって興味関心がなかったとも思われるので、教養の高さと自身の過大評価との関連性は完全一致するものではないだろうが。
組織において部下を評価するという仕事にも多く携わっていたが、プロジェクトチーム業をした人にあっては、計画を発案した人、それを綿密な計画に落とし込んだ人、周囲を巻き込んだ人、トラブルを未然に防いだ人、実行に移した人等々があり、それぞれ自身の貢献はとても価値があるとするのは当然のことである。その一方、では全員を同じ評価にするのも正しくは無いだろうし、低い評価となる人が不満を感じることもよく理解できる。報酬全体を100とした場合、プロジェクトメンバー各人が要求する数字の総和が100に収まるということはまず期待できない。これもダニング=クルーガー効果がもたらす混乱とみてとれるだろう。
育児貢献度などは父親が「自分はかなりやっている」と感じる一方で、母親に聞いてみると「父親はあまり貢献していない」というギャップがアンケート調査によって20-30%ほどの差異がみられるという。かくいう私もプロジェクト業務、育児、その他もろもろの共同作業において自分を過大評価していないだろうかと考えてみると心許なくもある。自分が貢献している、とするのはある種の防衛本能でもあり、それは自分を直視しないことがむしろ幸福感を得やすいことの裏付けであるともいえるだろう。かくして人は皆、自分を過大評価しがち、という色眼鏡で世の中を捉えているのである。
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