見ず知らずの人とすぐに仲良くなるという才能の持ち主は、おそらく自己開示が上手にできる人なのだろうと思う。自己開示というのは心理学用語で、自分のことを相手に開示することを指す。
なあんだ、文字通りか。それでどうして学問用語なのだ、と言われそうだがこの自己開示というのは奥が深い。前述したような才能の持ち主はそんなに多くないだろうし、大抵の場合は初めて会う人に対しては「この人はどんな人だろう?」と、お互いに探り合うのが一般的だろう。私もそのようにする。
特にビジネスシーンにおいては相手がお客様だったり、偉いさんだったりしたら「どんな人だろう?」という疑問の中でも特に怒りの琴線とか、どんな言動をしたら不愉快に思うのだろうかを察知することが極めて重要になる。およそこのセンスが足りないと営業マンとしては失格だろう。
例えば言葉遣いにうるさい人かもしれないし、服装や髪形にうるさい人かもしれない。そうだとすれば営業マンは濃いめのスーツに無難な髪形しか選べそうにないし、茶髪や口ひげなんてもっての他である。
そんな中で相手との距離を縮めるには、では自分は何者なのかというのをタイミングよく相手に知らせることだ。年齢が何歳で、出身がどちらで、どんな趣味なのか、家族構成はどうか。優秀な営業マンはこうしたスキルにおそらく長けているのだろう。適時に適量な自己開示をするというのは簡単なスキルではない。
自己開示というほど自分のことを話すという訳ではないのだが、講演の機会があると私はなるべく冒頭に、どうでもよい、関西弁でいうところの「しょーもない話」をするようにしている。うまくそこで笑いがとれればそれに越したことはないが、会場の雰囲気や前の講演者からの流れなどから確実に笑いがとれるというわけではなく、いわゆる「スベる」ことも少なくはない。ときには「不謹慎だ」とばかりにご不満の声を頂くことだってある。
それでもどうにか冒頭に「しょーもない話」をするのはなぜか。それは本題となるところの講演内容が疫学や統計学、科学哲学といった堅苦しい話が多いことにも起因する。そんなコンテンツの冒頭から、堅苦しい挨拶をしたのでは聴講者としてはおよそ睡魔との闘いになってしまうのではと懸念するのである。
要するに「私はしょーもない話をするような人間です。」という自己開示をしておくことで、少しでもお話の本題に入りやすく、少しでも眠くならないための“仕掛け”をしたいというわけである。
なお、自己開示によく似た概念として「自己呈示(じこていじ)」なるものが心理学用語として知られている。自己開示が自分のことをさらけだすのに対し、自己呈示の方は少しばかりの印象操作、要するに「自分を実際より良く見せる」ニュアンスが含まれる。
このように表現すると自己呈示が悪いことのように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。誰しも自分をよく見せようとするし、それは対人関係においてマナーともいえるだろう。部屋着のような服装で髪も寝ぐせのついたボサボサ頭がいいということは決してない。その意味において自己呈示は詐欺まがい、ということではなく、自己開示とは大きく違わない文脈でも使われたりもしている。
いずれにせよ、どのタイミングで自分をどれくらい相手に“開示”したらいいのか。すぐに誰とでも仲良くなれる人をうらやましくも思いながら、未だにそのコツをつかめないでいる。
以上
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