介入(intervention)

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科学用語、専門用語といえば決まって難しい単語なのだが、それよりもむしろ日常会話で普通に使われている単語のクセに、ある専門分野ではだいぶ違うニュアンスで使われているという方が誤解を招きがちでむしろ厄介なのかもしれない。

例えば経済学で使われる「限界」なんかはそうだ。「限界効用」だとか「限界利益」だとか言われると、ギリギリのそれかと思いきや実は全く違う。ウィキペディアによると“財やサービスなどの変数を微少量だけ増やしたときの、(その変数に依存する)別の変数の追加1単位あたりの増加分もしくは増加率を表す”とある。

これは一般の人がイメージする「限界」とは随分と違う。数学に明るい人ならば「微分と同じ概念」といえば話が簡単なのだが、これを聞いて「なるほど」となる人は少ないだろう。

疫学等の研究分野では「介入」という言葉もまた同じように、一見するとニュースで聞く「日銀が介入しました」といった為替介入だとか、政治介入、紛争介入のようなニュアンスに響くことだろう。私も最初に聞いたときはそんな感じだったと思う。

研究分野での「介入」というのは基本的に「治療への介入」のことだ。「治療への口出し」と言い換えた方が理解しやすいかもしれない。つまり「介入研究」というのは、日常診療における治療に口出しする、乱暴な言い方をするならば「医者がベストだと考える治療が必ずしも選ばれる保証がない」ともいえるだろう。

それ故、介入研究というのはその存在自体、倫理的な課題を背負っているともいえるだろう。「ベストの治療が選ばれるとは限らない」という響きを聞くとビビってしまう。もちろん、医師が考えるベスト選択ではなくても、それ以上の治療効果となる可能性があるともいえる。

医薬品として承認してよいかどうかを決定する臨床試験、無作為化試験なるものは疫学分野では全て「介入研究」に該当する。これに対して、観察研究というのは何せ“観察”なのだから、「医師が考えるベストの治療が選ばれる」ことが保証されていることになる。観察研究のことを介入研究との区別を強調したいときは「非介入研究」と呼ぶこともある。

変に日本語を当てるとかえってこのような誤解や混乱が生じることもあってか、最近は外来語をそのままカタカナ表記で“輸入”することの方が多い。介入研究についてもそのままカタカナ表記で「インターベンション研究」と呼ぶことにすれば混乱を生じないし、わかりやすくなる?なんてことにはならないか。やっぱり。

以上

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