コモンズの悲劇(tragedy of the commons)

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イースター島といえばモアイ像で有名だが、かつてあった文明が崩壊してしまったこともまた有名な話である。ではどうして崩壊してしまったのかといえば諸説あるようだが、先日、友人から面白い学説を紹介してもらった。

その学説というのは、当該の「モアイ像」がその原因だというのである。モアイ像などというものは生活必需品でもなんでもないのは自明なことで、地球上の様々な文化でよくあるところの、宗教に関わる存在である。

そのモアイ像を作ることは要するに「信心深さ」の象徴なのであって、崇拝するところの神をあがめる尊い活動であったことだろう。

そのモアイ像が大きければ大きいほど良い、つまりより信心深いということになって段々とそれが巨大化していったのだという。悲劇というのは、その結果としてもともと大きくもないその島の森林をはじめ資源が枯渇していき、生き物が減り、やがては人が生きてはいけない島になったのだとか。

インターネットで調べたところでは必ずしもこの学説が有力という訳でもなさそうだが、我々現代人においてもしっくりくる学説で、さもありなん、といったところだろうか。

社会学分野でこうした話はよく聞くところであり、特に共有財たる「みんなのモノ」ということの消費が加速する様は「コモンズ(共有地)の悲劇」という言葉で知られている。

自身が所有する牧草地であれば、それが枯渇しないように牛や家畜の数を調整するところが、「共有の牧草地」となると、そうはいかない。われ先にとそれぞれの農家が牛を放牧してしまえばやがてその牧草は枯渇してしまう。

イースター島の学説であれ、コモンズの悲劇であれ、それなりの先見性のある者であれば「このまま進むとマズいことになるぞ」といち早く気づけそうなものだが、少数派が気付いてそれに警鐘を鳴らしたとしても、もはや突っ走る大衆を止めることは容易ではないだろう。

然るに、現代の私たちが直面しているところの地球温暖化問題等々は果たしてその「マズいぞ」の声が通るのかどうか。「正直者がバカをみる」なんて言葉もある。近視眼的な人類の、その行く末を憂いている。

以上

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