このところ調子の悪い日が多い。年末の懇親会も風邪でキャンセルしたし、つい先日はただ単に寒い日に外に出かけただけなのに頭痛がしてきて大学院のリアル授業を泣く泣く欠席してしまった。
年齢のせいにしたくもなるのだが、それだと何でもアリというか常に言い訳が出来てしまうので「たまたまこのところ調子が悪いだけ」だと思いたい。
ちょっと困るというか、むしろありがたいというか、体調が悪いといっても高熱でもなければそれなりに仕事の方は出来てしまう。以前のように毎日出社必須でもなくなったことで、例えばオンライン会議であっても自分が進行役でなければ身体を横にしながら出席することも可能だ。
ただ、当然のことながらパフォーマンスは100%というわけにはいかず、例えばこうしたブログのような“作品”を作れるかといえばそれはほぼ無理である。出来ることと言えば、議事録を決まった書式でまとめるとか、ルーチンワークのようなアイデア性がほとんどないタイプのものか、画面を表示しなくてよいオンライン会議程度である。
このような社会的な有り様は、果たしてよいことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか。
特に問題となりそうなのは時間給タイプの仕事だろう。通常ならば1時間でなんらか10個の成果物がでるところ、具合が悪いことで5個しか成果物が出ないからといって時給は半額にはならない。社会的な視点でみれば当該の会社が損をしている、ということになる。
経済学分野でこのような「だるい状態での仕事ぶり」の問題をプレゼンティズム、あるいは延ばしてプレゼンティーズムという。これは「休暇」となるアブセンティズムと対比して用いられる概念だ。
医療分野に近いところの研究であれば、「インフルエンザによる1週間の欠勤」や「入院による2週間の不在」といったアブセンティズム(欠勤)は、失われる機会費用として割と算術がしやすいものである。
一方で「疾病出勤」とも和訳される方のプレゼンティズムの方はややこしい。恐らくであるが花粉症のシーズンは花粉症の人の仕事ぶりは多少なりとも劣化しているだろうが、それを適切に「どれだけ機会費用が失われたか」を算出するのは容易ではない。
ただ、私の場合は幸か不幸か時間給ではなく、成果物により評価される能力給である。理屈からすれば会社と約束した10個の成果物が5個しか提供できなければ給料は半減する、ということになるのだろうが、私のような能力給の人でこのように数字で評価しやすい課題が設定されているということは現実にはあまりないように思える。
ああ、よかった、、、、という話なのかなこれは。とにかく体調不良は早く治さねば。
以上
コメント