このところのアイドルはソロ歌手ではなく「アイドルグループ」であって、私にとっては誰がどこに所属しているのか判別するのがかなり困難である。
AKB48が出だした頃から、「〇〇46」のようなアイドルグループがたくさん出てきているのだが、この数字が何を意味しているのかすらよくわからない。以前はグループの人数だと思っていたのだがそうとは限らないのだそうだ。
とはいうもののグループの中には特に人気のタレントと、そうでないタレントもいるだろう。そうなってくると気になるのが経済学でよく語られるところの“適正な資源配分”がどうなっているのだろう、ということである。
例えば歌番組に呼ばれたソロ歌手がもらうギャラを、グループが10人であったとして、テレビ局も10倍のギャラを払うわけにはいかないだろう。そうなってくると、仮にソロ歌手と当該のアイドルグループの人気ぶりが同程度であったならば、おそらくはソロ歌手1人分のギャラを10人で分けることになる。
その際に、人気のタレントとそうでないタレントは同額のギャラ、つまり10等分するのが適切なのか、それとも人気ぶりに応じて配分を調整するのが適切なのか。
以前、とあるお笑いコンビの2人が、一方だけ超売れっ子でたくさんの番組に出演しているのにギャラは完全に均等わけしているという話がバズったことがある。売れていない方の芸人への攻撃、炎上があったと言った方が正しいかもしれない。やはり人気ぶりに合わせてギャラの分配は違えた方がよいという考えの方が主流なのだろう。
高額医療の選択に際し、超高齢者への処方は控えた方がよいのではといった議論はよく耳にする話だ。20歳の若者であるならばその高額医療は適切であっても、70歳の場合はそうではない、という“感覚”だ。
野球は攻守9イニングずつで構成されるが、20歳の人はいわば2イニングしか人生を謳歌していないのに対して、70歳の人は7イニングもすでに人生を謳歌している。然るに高額医療費を投資する対象としては全く平等というのはかえってよくない、悪平等というわけだ。医療経済学分野ではフェアイニング論という。
この論はそれなりに支持者も多いことだろう。しかしながら一方で「年齢差別ではないか」という反論にも説得力がある。功利主義では人の命を均等とするので、決してこのような判断にはならない。
フェアイニング論と功利主義、どちらが正しいのだろう。哲学分野であるが故にどちらが正解です、というものが証明されることは残念ながら永遠に無さそうである。
ただ、やはり自分より若い人が亡くなるというのはどうにも耐え難い。若くして亡くなった会社の同僚のお墓参りに、今年もまたみんなで行こうという計画を立てている。
以上
コメント