私は元来、あがり症であり人前に出てお話をしたりするのが苦手なのだが、どうにもそれが周囲に伝わらない。
実際のところ年間で数十件の講演や司会進行の仕事を請け負っていることもあって、さすがにその都度都度にド緊張できるほど人間が純粋に出来ていないこともあって、終わってみると自分が想像していたよりもだいぶうまくやれたな、と思うことも多い。
恐らくはそれが本質的な私の「あがり症」を隠しているのだろう。周囲からはむしろ人前でお話することが楽しそうに映っているらしい。
そもそも私に限らず、大抵の人は人前にでてお話をするといった場面で「普段通り」を貫けるものでもないだろう。恐らくであるが、私と同じように場数を踏むことでド緊張から次第にあたかも「普段通り」が出来るようになるだけである。
周囲からの目は往々にして私たちのやる気を促進させ、力を与えてくれるものである。社会心理学分野ではこれをピア効果と言ったり、特に生産性向上の場面ではホーソン効果といったりする。その一方で「あがり症」はホーソン効果とは逆方向の効果がありそうで、これはスポットライト効果という。
要するに周囲からの注目を浴びることによって、普段通りの行いが出来ずパフォーマンスが下がってしまうということである。金メダルの最有力候補と目された選手が他の大会でみせるそれとはまるで別人のようなパフォーマンスをオリンピック大会でしてしまう(しでかしてしまう?)というのは珍しい話でもない。
なお、スポットライト効果とは文字通り舞台にあがってスポットライトを浴びる状況に限ったことではなく、日常的に起きていることである。
例えば、普段、着慣れていないスーツを着たとしよう。「おかしくはないだろうか」と思う心理。例えば髪形を少し変えた翌日の出勤。「おかしくはないだろうか」と思う心理。これらはすべてスポットライト効果としても語られるものである。つまりは「自分が思っているほどに人は私のことを気にしてはいない」、そのギャップこそがスポットライト効果の正体といえる。
要するに自意識過剰、ということではあるのだが、それでもスポットライト効果は悪い側面だけはないだろう。仮にスポットライト効果が皆無という人がいたらどうだろう。恐らく髪形には寝ぐせがついていて、ヒゲも無精ひげ、顔も洗っていないし洋服もシワシワ、なんてことになってしまいかねない。
そのような側面も踏まえるならば「あがり症」もそんなに悪いことでもないだろう。このところはオンラインで講演することが増えてしまい、どうにも聴衆の面前で行う講演・講義とは勝手が違って緊張度が悪い意味で低下しがちである。こうなってくるとついうっかり口が滑ってしまって、という懸念が今度は生じてきてしまう。むしろ「あがり症」、スポットライト効果は仲良く付き合うべき相棒といえるのかもしれない。
以上
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