イースタリンの逆説( Easterlin Paradox )

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アジアNo.1の富豪といわれる、アンバニ家の息子さんがこのたび結婚するらしく、その費用総額がおよそ900億円らしいと報道されている。なんとも豪勢なお話である。

私も既婚者である。私の場合、確か貯金がほぼ0円だったのに、やはり結婚式をあげようということになってその結婚式・披露宴の全額を親に借金したという、なんとも情けない記憶である。アンバニ家と比べるというよりも世間一般と比べても貧しい結婚式だったといえるかもしれない。

資本主義社会にあってお金というのは社会をよりよくするために各人が切磋琢磨する、その仕組みの根幹をなすものだ。より良い生活を送ることや、周囲から敬意を表してもらうためには他者よりもお金を稼ぎ貯蓄を肥やさなければならない。

とはいうものの、このところは「お金と幸せ」に関する考察がやたらとされており、若い世代にあっては、少しばかり給料が高いといっても責任が大きくなる管理者になりたいとは思わないという価値観の人が増える一方のようでもある。

確かにこの世を去るときに貯蓄が何億円あったとしてもそれは無価値となるものであって、故にお金というのは決して多ければ多いほどよい、というもので無いことは明らかだ。

経済学者リチャード・イースタリンによるお金と幸せの関連性研究は特に有名で、ある程度までは給料が上がれば幸福度も上がるが、それはずっと直線的ではなく、頭打ちにあう。大まかにいえば年収1000万円くらいまでが直線で、そのあとは幸福度があがらないということで、これはイースタリンの逆説として知られている。

大富豪、ビルゲイツもしばしば幸福度との関連性をコメントしており、簡単にいえば「こんなにお金持ちじゃない方がよかった」ということのようである。アンバニ家も、ビルゲイツも、あのレベルで大金持ちになるという経験をしていない私たちではその苦労を理解することは出来まい。

ただ、結婚したての頃と比べたらそれなりに貯蓄もあるし、日本は年金制度もあるので私自身もあの頃のようにお金に執着することはなくなったという意味で、当時よりは大金持ちの気持ちに少しは寄り添えるところがある。

その昔は、給料があがったりボーナスをたくさん貰ったりしたら嬉しかったもので、やはりそれは会社貢献のためのモチベーションになっていたといえる。しかしながら今はどうだろう。もはや給料があがったとしても以前よりは喜べないというのが正直なところであり、働く動機はむしろ社会課題の解決であったり、カッコよくいえば“自己実現”のようなものにシフトしている。

これは良いことなのだろうか。あるいはそろそろ“サラリー”マンという稼業から身を引く時期に来ているという、ちょっと寂しいお話なのだろうか。

以上

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