貧乏性が板についているせいなのかどうかは知らないが、未だラーメンに1000円以上を支払うということには抵抗感がある。
元プロサッカー選手の本田圭佑さんが、「ラーメンに2000円支払います」と言ったのは2023年の1月のことであるが、偶然か必然か、その辺りからラーメンの価格は徐々に上昇しており、ラーメンを1000円以内で食べるには店を選ぶかメニューを選ぶかするより仕方なくなった感がある。
価格高騰はラーメンだけのことではない。ただ、デフレ時代の価格下げ競争のようなことをしていてはいつまでたっても日本人の給料が上がらないのは必然で、ちょっとくらい高額なのは我慢するより仕方ないだろう。
価格は私たちには目に見えないものの、市場にまかせていたら自然と最適価格になる、というロジックは「神の見えざる手」という言葉でよく説明される。価格が「安い」だとか「高い」だとか消費者は個々人で色々違う感覚をもつが、要するにそんな中で定まった今の価格は神が決めたものともいえるのかもしれない。
水は高いところから低いところへ流れる。ラーメンの金額も高すぎたり安すぎたり散らかっているが、何れは適正価格に落ち着く。
トランプ大統領が掲げる自国第一主義も、考えてみれば自然の摂理なのだろう。誰も他国を優先すべきなどとは考えない。ただし、そこには自国産業を守るための高い関税をかけたり、炭鉱業のような地球温暖化にはマイナスの産業を擁護したりと、地球全体としての調和の色彩は見られない。パリ協定からもWHOからも脱退するという。
私は戦後の産まれなので、アメリカと言えば自国のためということだけでなく、世界のリーダー国たらんとした言動をよく見聞していた記憶がたくさんあり、こうした話を聞くとやはり残念に感じられる。これでは他国から「世界のリーダーはアメリカだ」と受け止めることは無くなっていくことだろう。
「アメリカは世界のリーダーではない」ということが世界の常識となった先の未来はどのようであろうか。日本は原発ゼロ運動の先頭にあるが、リアリズムの視点からすれば「道徳的で物分かりのよい国が原発を減らし、そうでない国は原発を減らすどころかかえって増やす」という帰結が容易に想像される。
その先の未来は私たちには見えない。神には見えているのかもしれないのだが。
以上
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