BLO125公共財(public good)

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謎の組織によって怪しい薬を飲まされ、目が覚めたら体が縮んで小学生になっていた『名探偵コナン』は高校生探偵工藤新一が小学生となり、「江戸川コナン」となって難事件を解決していくミステリーである。主人公たちが事あるごとに殺人事件の現場に遭遇するのだが、彼らは事件の被害者に対し、しばしば「もう助からない」という判断を下し、救急車を呼ばないことがある。あたかも救急車を呼んだ人が高額請求される社会に住んでいるようだ。

 経済学の世界では、救急や消防、警察などのサービスは「公共財」と呼ばれ、人々が必要とするものでありながら、人々が利益を追求する市場においては、提供されないものとされている。提供する側が利益を得ることは難しいが、社会全体にとってあった方が良いもの、といえるだろう。

 ようするに「みんなのもの」というわけだが、公共財にはそれなりの明確な定義がある。それは、「非競合性」と「非排除性」を持つというものである。

非競合性とは、誰かがすでに利用していても、他の人が問題なく使用できるという性質である。例えば、食料は自分が食べた場合他の人は食べられないので非競合性をもたない。一方、動画配信サービスは自分が利用している状態でも、他の人が問題なく利用できるので、非競合性もっているといえる。

非排除性とは料金を支払わない人でも利用できるという性質である。高速道路は料金を支払わなければ利用できないため、非排除性をもっていない。一方で、一般道路を通行する場合、料金を支払う必要はないので、非排除性をもっているといえる。非排除性をもつ財はしばしばフリーライダー問題、すなわちただ乗りの発生を招く。料金を支払っていない人でも利用ができるので、利用が過剰になってしまうという問題だ。あるいは、料金を支払う人が少ないために、生産が過少になってしまうという問題でもある。

 非競合性と非排除性を満たすものは特に、「純粋公共財」と呼ばれる。例えば、国防はその国の人間すべてが利用でき、料金を支払わなかったからといって排除されることもない。その他の純粋公共財の例としては、空気や花火などがあげられる。

 救急や消防は無限に利用できるわけではないので、過剰に利用されると足りなくなってしまう。「救急車の適切な利用を」と呼びかけられているのもそのためだろう。とはいえ、自身や身の周りの人の緊急時や不幸にも殺人事件の現場に遭遇した際は、ためらわずに救急を利用してほしい。

(オウセイ)

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