価値観が多様化してきた現代にあって、資本主義としてアタリマエのこととしてきた「資産形成」は、必ずしも人生の目的としては相応しくないのでは、といった風にそのメッキが剝がれてきた。
タカラトミー社が発売した令和版の人生ゲームではお金が全く登場せずに、フォロワーをどれだけ集めるのかというコンセプトだというし、社長になりたがる新入社員の比率は毎年、下がっているというニュースも耳にする。“生物多様性”が尊ばれていると同様に、様々な価値観も尊重されてよい。もちろん、多大な迷惑、反社会的行為まで肯定するものではないが。
一方で、書籍のタイトルとして表現される「成功」は少し遅れているようで、本の表紙に「成功するための法則」「成功をつかみとれ」とあればこの場合の「成功」は「お金持ち」という意味のようだ。
資本主義の利点はなんといってもお金というツールを、世の中をよくするためのインセンティブに利用するところにある。より多くのお金を獲得するために様々な商品やサービスが継続的により良くなる。私が従事している製薬の仕事も、お金というインセンティブなくしてこれだけ多くの医薬品が作り出されることは決してなかっただろう。その意味でお金儲けは悪いことではないハズだ。
一方で資本主義がもたらした“副作用”も強く認識されている。環境破壊だ。お金儲け一辺倒のインセンティブでは資源が枯渇し、動物が絶滅に瀕する。二酸化炭素の増加は地球を不適切に温めてしまう。経済格差の増大は犯罪率を高めることも知られている。
とはいうものの、長いこと空気のように資本主義社会に身を置いてきた我々にとって資産が増えることはやはり嬉しいことだ。2000円程度の投資でもしもその「成功=資産形成」に役立つ情報があるならば安いものである。
こうした本を紐解くと、過去に大金持ちになった人たちがどんなことをしたのか、あるいは著者そのものが“成功者”である場合は、どのようなことに気を付けたのかといったTips、コツが列挙されていることが常のようである。
しかしながらどうだろう。ここで心理学分野における「生存者バイアス」という概念があるので紹介しよう。要するに死者は話すことができないので、生存者の意見しか聞けないことがもたらす偏重のことである。
例えば鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代といった数多の歴史書を考えてみよう。そこに記載してあることは本当に真実なのだろうかといえば疑わしい。戦に勝った側が、負けて命を絶った相手方を語る際に、果たして正直に都合の悪いことまで記載したりするだろうか。
「ひどく悪い奴らだった」といった記載があったとして、こうした記述については生存者バイアスが含まれていることを前提として話半分くらいに受け止めるのがちょうどいいだろう。
成功の指南書の類(たぐい)についても、これと同じような受け止め方をするのがちょうどよい。実際のところ、「まずは退路を断つべき」なんていうアドバイスが記載されていたりする。「覚悟を決めるうえで、私は当時勤めていた会社をまずは退職しました」。なるほど。
さて、ここに内包されている生存者バイアスなる偏重を踏まえるとどういった解釈になるだろうか。何のことはない、覚悟を決めるうえでまずは仕事を辞めるという打ち手は、他方、成功に値しない、もっと悪い状況をもたらしているだろう人も数多くいるだろうことが見えてくるはずだ。
成功の指南書の逆バージョンとでも言おうか、「今日、ホームレスになった」(増田明利著)なる書籍を手に取ってみると似たような記述に出くわす。夢を求め、早期退職者優遇制度を利用して退職した後にペンション経営をしたものの、、、といった経緯は、その入り口は成功の指南書で記載されるところの「まず退路を断つべき」とさほど変わらないのである。
成功の指南書を執筆している作者にとって、読者を不幸にさせようなどという気持ちはさらさらないだろう。しかしながら、自分はこのようにしたから成功したのだ、ということはひょっとしたら種々のラッキーがもたらしたものであって、万人に当てはまる成功のためのコツとは限らないことに思いを馳せてみるべきかもしれない。
多様化が尊ばれている現代であっても、やはり先立つものは必要で、決してホームレスになりたいという人は皆無だろう。書籍を手に取るときは、生存者バイアスにくれぐれも注意したいものである。
以上
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