クリニカルクエスチョン(clinical question)

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公衆衛生学に関連した大学院に通っているのだが、そこで勧められたところの、研究の実施に関する初級者向けの本を購入したところ、研究の開始は「リサーチクエスチョンを設定する」とあった。さすがにこれはちょっと不親切じゃないかと思う。

研究をする動機というのはもっとピュアな疑問から生じるというのが王道だろう。例えば「読書をすると学力が上がるのか、それとも学力の高い子供が読書をするだけなのか」とか、「第一子と第二子とでは同じだけの愛情を親が注ぐのだろうか」とか、色々あるハズだ。

こうしたピュアな疑問はそのままでは調べることができない。それゆえに何らか調べられるカタチにしたものが「リサーチクエスチョン」である。例えば「愛情」を測定するうえで、「写真の枚数」で比較するというアイデアが生まれたところで、それが指標となり、肉付けされてリサーチクエスチョンが固まるというわけだ。

もちろん、「写真の枚数」が果たして愛情の測定に相応しいモノサシなのかどうかは吟味する必要があるだろう。何せ第一子は親にとってはビギナー、初心者時代であり、頻繁に子供の写真をとってはいたが、その大抵は無用なものだという経験値から第二子ではあまり写真を撮らなくなったのだとしたら、これは愛情を測っているのではなく「親としての経験値」を測っているだけで、良いモノサシにはならない。

心理学分野では親の愛情によく「子供との接触時間」などを使うらしい。適切なリサーチクエスチョンを設定するのはセンスのいることで、結構な難儀である。

臨床分野においてはリサーチクエスチョンの前段として「クリニカルクエスチョン」という概念が知られている。「この検査、不要では?」とか、「高齢者に処方するなら、用量はもう少し少ない方が副作用の心配が減ってベターでは?」といった具合だ。

こうしたピュアな疑問についてその仮説が正しいのか、それとも気のせい、正しくないのかを調べられるように工夫してリサーチクエスチョンが出来上がる。これが医療系の、臨床研究の流れとしては王道だろう。

もとより、大学院生向けの本ということになれば「リサーチクエスチョンの設定」からお話を始めるというのも妥当かもしれない。現役の医療者ならばピュアにクリニカルクエスチョンをもっており、そこから始められるのかもしれないが、学生の研究動機は不純(?)であり、「学位をとる研究を実施したいのだが」ということが出発点と考えられるともいえるからだ。

実際のところ、こうした動機の学生ばかりが責められるものでもないだろう。研究動機というのは、研究者やその所属機関の「評判をあげる」、悪くいえば「売名行為」的な色彩が動機というのもよくあるはなしだし、営利企業が行う研究は直接的でなくても「お金儲けにつながる」という動機が含まれることが当たり前のことだろう。

もちろん、研究動機が売名行為だろうがお金儲けだろうが、私はそれを批判したいわけではない。その結果として実施された研究において実際に社会課題が解決されたり、技術が進歩したりするのであれば、これは資本主義社会が社会を発展させるサイクルともいえる。

そもそも医療者がピュアにクリニカルクエスチョンを持っていたとしても、ではその確認に研究を実施できるかといったらこれはなかなかハードだろう。研究実施のスキルだけでなく、そもそも時間もお金も足りず、大抵の医療者はその疑問を確認検証することなく職務を全うするということになる。

それに比べたら“不純”な動機の方がお金や時間などの獲得が容易である。「学位をとるため」という動機で行うことをあまり恥じるべきでもない(と、自分に言い聞かせている)。

以上

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