参照点依存性(reference point dependence)

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家族3人でお昼のランチをどこにするかという話になった。とんかつ屋の500円割引券があるしではそこにしようかと思ったところ、パスタ屋の方は20%の割引券があるという。このところは物価高で、3人ということになれば支払額の総額は3000円を下りそうにないので、結局、パスタ屋にしようということになった。

学生時代は学習塾でアルバイトをしていたのだが、小学生・中学生にしてみると割引率の概念を理解するのは難しいらしく、社会人歴の長い人ならば容易に理解できるところの冒頭のような割引きの話がなかなか理解できないという子供も多い。

疫学分野では「率(rate)」という概念は厳格に時間の視点がなければ使ってはならないので、その“原理主義者”にしてみれば割引率は「割引割合」と表現すべき、いうことになろうか。英語では例えば20%引きは「20% discount」である。

さて、今私は大学院に通っており、数十年ぶりの「学生時代」が再来中である。美術館や映画などが学生割引き額となってちょっと嬉しい。ただ、冷静になってみればこの2年間の学費総額は数百万円であり、それと比べれば数百円の減額など微々たるもので、嬉しく感じるのはあまり合理的ではないのかもしれない。

先日、勤務先の会社からリスキリングの推奨だとかなんだとかで、私のように大学で勉強している人、しようとしている人に1人あたり10万円支給する制度を導入するということになり、私も上司から申請するよう指示を受けたところである。

やれやれ、というのはおかしい話ではあるのだが、私はこうした申請手続きのような事務処理がすこぶる苦手で、数百万円の学費に対して10万円ということであればどうにもその申請のための手続きに気おくれがしたものである。簡単にいえば「面倒さ」の方が先にくる。

この話、ひょっとしたら行動経済学分野における参照点依存性の話なのかもしれない。参照点依存性という概念のよりシンプルな例は、絶対価格としての3000円よりも、割引きした結果としての3000円の方に消費者はより魅力を感じてしまう、という概念だ。「通常5000円のところ」3000円ならば、これは普段から3000円の商品やサービスよりも価値が高いものだろう。それどころか普段から2000円というものよりも絶対額としての3000円は高額ではあるが、普段5000円ならばこれが参照点となり「お得」にすら感じる。この感覚は割合の概念を理解できていない小学生では難しいことだろう。

とはいうものの、先の会社からの支給額のお話についていえば10万円は10万円だ。本来ならば冒頭のランチ割引きでの数百円のお話よりも経済学的にははるかに絶対価値が高いはずだ。それなのに申請が面倒だと思う私の心理は、小学生にはわかるまい、と自惚れる話でもなんでもなく、むしろ理解できない小学生の方がエライのであって、私の方が愚かしいとするのが恐らくは妥当だ。

そういえば。先日買ったノートPCも、学生であることを証明すれば1万円のキャッシュバックがあるというサービスが付帯していたが、その申請手続きは今月末が期限だったな。20万円の商品でたかだか1万円か、、、ということで手続きをしない私は、本来、意思決定するうえで全く気にすべきではないノートPCの価格20万円に引きずられている、参照点依存性という重度な“病気”なのかもしれない。

以上

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