アメリカン・リーグのMVPとして大谷祥平選手が無事に(?)選出されたことにホッとしている。MVPはご存じの通りMost Valuable player、そのままのニュアンスでいえば今シーズンで最もvalue(価値)のあった選手ということになる。
シーズンも終わりに近づくと、誰がMVPに相応しいかという論争が日本でもアメリカでも野球ファンの中では盛り上がるのだが、時折、自分の違う意見と出くわすと感情的なぶつかり合いさえおきてしまう。どうしてこのようなことが起きるのかといえば簡単な話である。誰もが納得するような相応しい尺度が無いからだ。
一方で、大谷選手がシーズン終了とともに獲得したホームラン王というタイトルの方は“明朗会計”である。一番多くのホームランを打った選手に与えられるのであり、それは幾度、敬遠四球で勝負を避けられたかとか、ホーム球場がいかに小さいかということは一切おかまいない。いうなれば明朗ではあっても必ずしもフェアな尺度と言い切れるものではない。
そもそも私たちが本当に知りたいことのうち、正しく測定できるようなものなどほんの一握りだろう。愛情の深さ、学力、多忙さ、やる気、会社への貢献度、どれ1つとってみてもそれを測ることは不可能だ。
医療分野においてこの「尺度論争」がもっとも盛んなのはQOL (Quality of Life、質調整生存年)だろう。作家でもある医師、里見清一先生曰く、
“測れるはずがないのに測れると一部の人が信じ、現実的な研究者を辟易させるもので、富山県などで出現すると蜃気楼とも呼ばれる”
ということのようで、これは里見先生一流のユーモアに溢れているため、反論者を黙らせる効果もありそうだ。
そうはいっても、ひと昔前までの抗がん剤治療のように、確かに癌細胞の縮小効果は期待できるとしても、わずかな延命期間と引き換えに発生する副作用、例えば脱毛、うつ、吐き気等々の症状との折り合いは壮絶で、それならばと、治療を拒否するという選択肢をする人を批判できるのかといえば難しいところだろう。やはり「延命」がベストな尺度とは言い難く、その命の「質調整」に正当性もあるといえよう。
恐らくであるが、里見先生の本心としても「測れるものならば是非に測りたい」切望があり、それがあまりにかなわぬ夢であるがゆえの言い回しに違いない。QOLを正しく測定するなど不可能なのだ。
ただ、それを測ろうと、影を踏もうと尺度開発をすること自体を否定するのはセンスが悪い。身体の症状、例えば痛み、めまい、無力症、吐き気、眠気、どれをとっても正確に測ることは不可能であり、それをひとくくりに「蜃気楼」としたのでは医療そのものが成り立たないというものだ。
さて。答えは既に出ている。世の中の大抵のことは正しく測れる尺度などない。ただし、中には便利な尺度もある。確か有名な統計学者の先生がモデル式についてこんなことを言っていた気がする。QOL尺度も然り。より良いQOL尺度の開発に精を出す研究者らにはエールを送りたい。
以上
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