医療化(medicalization)

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恐らくではあるが、日本でもっとも有名な通訳の人が逮捕されてしまった。大リーグ

大谷翔平選手の元通訳である水原一平、その人である。報道によれば大谷選手の口座にあったお金を勝手にアクセスして25億円を“盗んだ”ということになるのだろうか。

罪状のことはよくわからないが、上述の行為についてはおそらく「窃盗罪」ということになるのだろう。あるいは大谷選手や周囲をだまし続けていたということで「詐欺罪」ということになるのだろうか。何れにせよ、このレベルの金額を窃盗した、という事件は大罪であり、30年以上の禁固刑が科せられるのだとかなんだとか。

また、「大リーグでは禁じられている違法賭博を行った」ことも罪ということのようである。こちらは大リーグ機構の規則違反ということなので、アメリカの法律としては有罪なのかどうかはよくわからないのだが。

そんな中で、「窃盗罪」「詐欺罪」「違法賭博」とは違う文脈のキーワードが踊っている。「ギャンブル依存症」である。

確かにこれだけの巨額が積み重なったということからすれば、“ほとんどビョーキ”なのは確かなのだと思えるのだが、報道から聞こえてくるのは当人がそのように自身が病気であることをコメントしているだけであって、少なくとも現時点で医者にそのように診断されたということではないらしい。

言わずもがな「依存症」というのは恐ろしい病気だ。いわゆる“ドラッグ”に手を染め、そこから抜け出せない、幾度も逮捕されるという有名人のニュースはもはや珍しくもない。

ただ、それが犯罪かどうかという線引きはあまりクリアな印象がない。大麻などは有罪となる国と有罪とはならない国とがあると聞くし、煙草ですら有罪となる国もある。お酒ですら、アメリカで禁酒法時代があったことは有名だ。

一応のロジックは「その接種が常態化することで他者へ危害を加える可能性が高まる」ということなのだろう。確かにお酒を飲んで乱暴になる人はレアとも言えないし、ここ日本でもお酒を飲んでの車の運転は犯罪となるのはこうしたロジックである。

一方で「依存症は病気なのか」という視点についても少し疑ってみよう。社会学では病気という概念を医療のようにあたかもそこに存在する“事実”とは見立てていない。「医学は本質的に社会科学である」とされており、ギャンブル依存症もそれを病気として認定されてからまだ50年と経っていない。

医療化とはこれまで医療の対象ではなかった身の回りの問題が、治療や医学研究の対象となることであり、つまりギャンブル依存症は1970年代後半にWHOがそれと認定したとき「医療化」されたことになるのだろう。

かくして「彼は病気に罹患しており、気の毒である」という視点が生まれる。大谷選手からお金を盗んだ、彼をだましたということは有罪ではあっても「依存症に罹患している」ことそのものは犯罪ではないだろう。仮に窃盗や詐欺が無かったとしたら、ただの患者だ。

その一方で病気を社会学の視点、「医療化」として考えてみると、あまたの犯罪の中で病気認定されそうなことはかなりありそうだ。暴力犯罪しかり、性犯罪しかり。お金に困っていないのにドキドキが忘れられず窃盗を繰り返す病気は「クレプトマニア」だ。

日本では精神疾患等により責任能力がないと判断されれば、いかなる重大な被害があったとして無罪となる。「罪と罰」ならぬ「病気と罰」。病気ならば罰せられなくて済むという視点でみたとき、犯罪というものが違うカタチで見えてくる。

以上

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