品質管理部門、といえば自動車や機材、あるいは食材といったようにおよそメーカーと呼ばれる企業にあっては当たり前に存在している部門だろう。ところが、製薬企業では品質管理部門とは別に医薬品の安全性を監視する部門が設置されている。具体的には副作用が起きていないかどうか、それがより重症化したり副作用死が起きたりはしていないかを監視する機能である。
私は長いことこの部門で働いていたのだが、会社の企画でとある大学にてこの部門のことを紹介して欲しいというオファーを頂き、大学生に対してお話をしたことがある。その際、「製薬企業は副作用ゼロを目指していません」という話をしたのだが、参加者から頂いた感想の中でそれを「驚いた」とコメントしている人が少なからずいたのである。つまりは、学生の全てでは無いだろうが、少なくとも社会、人類、製薬企業は副作用ゼロを目指しているものと認識している人がいるということである。これは製薬企業にしてみれば逆に驚きだろう。
医薬品の場合、身体に影響をもたらす物質である以上、どうしても望まざるところの悪い反応を無くすことは出来ないし、正直なところそれをゼロにするなどというのは夢物語でしかない。当日は例えば、ということで「有効率が10%で副作用が0%という医薬品があったとして、これを倍量にすると有効率が50%になる代わりに副作用が10%になるとしたら」といった話をした。薬理作用というのはこんなに単純なものではないが、病気を治すという目的のために存在する医薬品としては最適用量の問題は普通にアルアルなのである。
もちろん、これが放っておけば治るような軽い病気の場合であれば、わざわざ倍量にする必要もなかろう、という意見が優勢かもしれない。ところが、これが心臓病や癌だったらどうだろうかと考えてみて頂くと、ある程度の副作用の発現は妥協しなければならないだろうという意見の方が優勢になるだろう。そうでなければそもそも地球上から医薬品そのものが無くなってしまうからだ。
とは言っても副作用死はあまりに悲劇である。先般のCovid-19は特にその初期では多くの人命を奪う恐ろしい病気であったことは記憶に新しいだろうが、それを防ぐ目的で開発されたmRNAワクチンによる副反応による死亡もゼロでは無かったようである。具体的には10万人中2,3人ということだが、これが若い男性群だとその数倍になるというのが事後の研究でわかったことである。もちろん、このような10万人に処方したら数人しか発生しないような副作用、副反応は医薬品やワクチンが世に出る前に確認する方法すらない。
トロッコ問題というのはNHKが哲学者サンデル教授の授業で紹介したことから、少しばかり知られるようになった哲学分野のジレンマである。具体的には「暴走するトロッコの先に5人の作業者がいる。あなたがレバーを引けば線路が切り替わり5人は助かるが、その先の別路線にいる1人が犠牲になる。レバーを引くべきか?」という問いである。「レバーを引くべき。何故なら助かる命が増えるから」というのは哲学分野では功利主義という。「最大多数の最大幸福」である。
医薬品やワクチンなる商品、物質はこのトロッコ問題のようでもある。ワクチンを接種した人のうち副反応として心筋炎を発症し失われた命。それが自身であったら、あるいは親族や子供、近しい友人であったとしたらそれを許せるのだろうか。その一方で10万人のうち数万人のCovid-19罹患者を防ぎ、ひいてはCovid-19による死亡例を数先例、救っているのだからこの副反応死は仕方がない、と割り切れるのだろうか。トロッコ問題は私たちに最大多数の最大幸福が常にベストとは限らないことを突き付けている。
以上


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