トランプ氏が再びアメリカ大統領の座に返り咲いた。
4年前、氏が支持者をあおったその帰結として、連邦議会議事堂を襲撃する者があらわれたときは、他国のことながら最後までトランプ氏らしいな、なんて思ったものだ。落選したことに対して選挙不正があったとか、陰謀説を唱えたりと、正直に言えばこのような人がよく大統領を務めていたものだと思っていたものである。
その当時はSNS戦略がうまくハマって当選したのだといった論調がよく聞かれたものであり、つまりは本来ならば落選するハズが当選した論調であったが、今回はそのような話は全く聞こえてこない。つまりは、アメリカ国民が真面目に考えた結果、トランプ氏がアメリカ大統領に最も相応しいと、少なくとも過半数がそう考えた結果という話である。
トランプ氏の政治についてはよく「ポピュリズム」という用語が使われる。日経新聞のサイトにポピュリズムについて簡潔でわかりやすい説明が掲載されていたので紹介しよう。
“大衆からの人気を得ることを第一とする政治思想や活動を指す。本来は大衆の利益の側に立つ思想だが、大衆を扇動するような急進的・非現実的な政策を訴えることが多い。特定の人種など少数者への差別をあおる排外主義と結びつきやすく、対立する勢力に攻撃的になることもある。” 日経新聞社サイト*より(2025.1.21.)
まさに今、私たち日本人がマスメディアを通じてみているところのトランプ氏とその支持者の様子そのものが紹介されているようですらある。ただ、果たしてどうなのだろう。概念のコアらしいところがどうにもしっくりこないのである。
要するに上記解説文の最初のセンテンス「大衆からの人気を得ることを第一とする政治思想や活動」が定義のようであり、後は単なる特徴を説明しているのだが、私の理解では日本の政治家の多くもまた「大衆からの人気を得ることを第一とする政治思想や活動」をしているように見えるのだ。
所得税や消費税の決定に際しては、少なくとも当選確実と考えている政治家でなければ職を失うのであって、やはり「大衆からの人気を得ることを第一とする政治思想や活動」をしている。そうでないならば詭弁にてそのように振舞っていて、実際には違うことを考えているといったところだろう。これはこれで“嘘つき”なのだから罪深くもある。
さらに言えばトランプ氏の「自国第一主義」もそうだ。私の知るところ、日本の政治家の中で「他国第一主義」の人は皆無だろう。ニュアンスとして「地球が第一、日本が第二」のような思想は、発言は聞くこともあるが、地球や宇宙は文字通り別世界のことであって比較対象として相応しくもない。要するに「どの国が一番大切ですか?」と聞かれたら日本の政治家の誰もが「日本」、つまり自国第一主義を唱えるに違いない。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉があるが、トランプ氏の政治哲学や言動をみて、確かにこれまでのアメリカ大統領のそれとは違うようにみえてはいるが、あくまでそれは度合いのものであるというのが、私の考えるところの「ポピュリズムの真相」である。
極端なことは宜しからず、というのがギリシャ哲学の「中庸(ちゅうよう)」という概念である。科学者でありたいと願う私もまた中立に、公平に物事を見聞せねばと常々、気にして生きているので中庸という概念には魅かれるものがある。
ただ、右にも左にも偏っていないという政治家がいたとしたら、私たち有権者には「この人、何がしたいのだろう」といった感じで落選すること間違いないだろう。いかんともしがたい。
以上
*日経新聞サイト「ポピュリズム」




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