「ペット、やりましょう。」
3か月に1回、病院で血液検査と診察を受けるているのだが、腫瘍マーカーの値がひどく大きな異常値になってしまい、恐らくは癌だろうという説明をされたのが昨年の夏の話である。腫瘍マーカーは癌だということは判定するが、部位までは特定できない。そこが問題である。
とはいうものの、胃の内視鏡も大腸の内視鏡も受けたばかりで異常がないことを確認している。一体、どこだろうかという話を主治医としていたときに冒頭のセリフがその主治医から出てきたというわけだ。
「ペット?」何それ、という話である。医者だけではないのだが、どうにも医者は自身がよく理解しているところの病名、治療名、検査値名などを唐突に言葉として発声するキライがあって困る。ペットなど、知らない。犬か猫か。
どうやらペットというのはPET、Positron Emission Tomography(陽電子放射断層撮影法)のことで、癌細胞だけ光らせるという検査なのだそうだ。そうだとすると、確かに「Positron Emission Tomography、やりましょうか」といわれても、「陽電子放射断層撮影法、やりましょうか」と言われても理解できるわけではない。
とはいえ、常識的なコミュニケーションからすれば「どこに癌があるのか、ペットという全身の検査があるので、それをやりましょう」という話法にならないだろうか。医者にそれを要求するのは無理なのだろうか、なんて思ってしまう。
「知識の呪い」というのは、自分の知っていることは、他人も知っていると思い込んでしまい、そのことをあまり知らない人の立場を理解できなくなってしまう認知バイアスの一種である。「知の呪縛」とも呼称する。これは医師だけの専売特許ではない。
たとえば10人が初めて会議をする、では順番に自己紹介をしましょう、というときに自分の名前をいかに相手にしっかり聞き取れるように配慮する人はどれくらいいるだろうか。自分の名前はもう産まれてこのかた、何千、何万も呼称し呼称されることから案外と注意を払わない人が多い。
私の名前は「青木」だが、この注意をはらわないで「ぁおきです」などと発声すると、初めての人は「おおき」なのか「あおき」なのか、正しく聞き取れないということになる。
私の経験則では10人のうち、このように「知識の呪い」をよく理解していて、相手にわかりやすいように発声する人はせいぜい2~3人だ。他の人は自分の名前を知り過ぎていて、大抵は小さな声で発声する。
もちろん、「私は知識の呪いをクリアしています」などと言うつもりはない。業務の中では「バイアス」「リアルワールドデータ」「バリデーション」といった言葉を頻繁に使うが、ときと場面が違えばこうした言葉には説明が必要となるにも関わらず、冒頭の主治医のごとく何ら説明もせず「バリデーションがされてない」なんて言ってしまうこともしばしばある。
とはいえ「知識の呪い」「知の呪縛」という言葉、概念を知っている人は、これを知らない人よりは気を付けることが出来るのは確かだろう。これからも気を付けていきたいと思っている。
ところで私の癌がどこの部位に発生したのか、その後日談であるが、PET検査をしたところどこも光らない。それどころか腫瘍マーカーの値も下がってきていて、異常値ではあるものの、「癌ではないらしい」ということになった。やれやれ。あの異常値は一体、何だったのだろう。今は腫瘍マーカーの値は何ごともなく正常値に戻っている。
以上



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