京都の街の混み具合は尋常ではない。もちろん東京の街も混んではいるのだが、長い歴史のある京都にあって「人混み」の歴史に関してだけは浅く、これは昨今の円安やインバウンドが影響している。日本人よりも外国人の方が多いという場面にしばしば出くわすのであり、今では外国人が多いということも一つの京都らしさとなった感がある。他方、昔から混んでいる東京と比べると、特に電車やバスなどがある意味、“破綻”しており、問題にもなっている。
京都市街でバスに乗るとあまりの混み具合に目的のバス停で果たしてちゃんと降りれるのだろうかという強い不安にかられる。地下鉄の駅も特に四条などはひどく、こないだは改札口に出るためのエスカレーターの列が信じられないほどに長く、エスカレーターに辿り着くまで何分もかかってしまった。その際は単に列が長かったというだけではなく、待っている時間の間に到着した反対側の電車から降りてきた人たちの一部がその列に割り込んできたからさらに時間がかかってしまった、というのもある。あまりの長い列にビビったのかもしれないが、列への割り込みというのはズルい。
動物の中には自分の子供を別の種族に育てさせるという、ズルいのがいる。カッコウの托卵(たくらん)は有名で、自分の代わりに子供を育ててくれるホオジロの巣などに自分の産んだ卵をそっと忍ばせる。ホオジロを騙すために卵の色をホオジロの卵の色に変化させるという能力がカッコウにあるらしく、ペテン師のスキルがDNA的に備わっているともいえる。また、産まれてくる子供は産まれた瞬間に巣の中にあるホオジロの卵を全て巣から落としてしまうという、暗殺本能もまたDNA的に備わっている。恐ろしい。
こうした話を聞くと人間は本能的に「ズルい」と思うのだが、果たして人間以外の生き物にあって「ズルい」などという価値観はあるだろうかと考えてみると、恐らくそんなものは存在しない筈である。中国の思想家、荘子(そうし)はこの「ズルい」という価値観どころか物事の善悪、正義/不正義、好き/嫌い、生死などもまた全て絶対的観点からみれば等価であり、等しいという思想を唱えた。これを万物斉同(ばんぶつせいどう)という。
確かにカッコウは「ズルしてやろう」などとは思ってはいないだろう。あくまでもそれが生存するための本能なのであり、“無思想”なハズである。騙される方の鳥たちも「騙された-」なんて思ったりもしないだろうし、別の巣から育った小鳥たちがその種を引き継ぎ今でも絶滅してはいない。もちろん、托卵により絶滅した種族が皆無であるというわけではないだろうが。
然るに、私たち人間の方はどうなのだろうか。正しいも間違いも人間が作った価値観に他ならない。不倫や浮気を重罪とする文化圏もあれば一夫多妻制の制度がある文化圏もある。
そうは言ってもやはり並んでいる列に割り込むのは「ズルい」というのが私の価値観である。暴力は許せないし、差別は嫌いである。自分自身、そのようなことは決してしないようにと、“善く生きる”道を選ぶのであるが、これもまた荘子に言わせれば凶悪犯と私とは万物斉同の立場からは等価となる。もちろん荘子が「犯罪をしてよい」と推奨しているわけではないのだろうが、荘子の思想を否定できるような材料が見つかるわけでもない。
以上


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