先般、タレントの櫻井翔さんが国連難民報道ディレクターに就任した。今後3年間にわたって難民・国内避難民の人々の現場の声を届けていく活動をするらしい。「なあんだ、ただ報道するだけか」と思うかもしれないが、実際にはかなりの経済効果を生む可能性がある。その意味では一人の難民を救う、という活動よりも社会的な意義や効果は高いと言えるだろう。
その昔、日本のテレビ番組「家なき子」で貧しい少女役の安達祐実さんが言った「同情するなら金をくれ」というセリフが大きな話題を呼んだことがある。私もこのセリフを講演などで使わせて頂いたことがあるのだが、資本主義社会にあっては「心温まるお金」とそうでないお金は使う側にとってはあまり意味合いの違いがない。例えば1万人の人たちから「心温まるお金」が総額100万円集まったとして、他方、お金持ちの人の心を揺さぶりその人から1,000万円寄付して貰えたらならば、お金が足りないという課題に対してより成果があるのは後者である。
その意味で、現場の人の声を届けるという仕事は重要であり、それが知名度の高いタレントであればなおさらであろう。いやむしろ「声」というよりも「顔」を届ける、と言った方がよいかもしれない。配信されている写真をみれば櫻井翔さんの周りに写る人は決まって少女であり、これは「寄付金を集める」戦略としては王道でもある。
どのような戦略がより寄付を集めるかという研究には「かなり非合理」な、偏重した心理があることが知られており、これは特定可能な被害者効果と呼称される。「10,000人の人が命を落としている」という報道よりも顔が黒ずみ泣いている一人の少女の写真の方が多くの共感を誘い、より多くの寄付金を集めるのだという。
これは統計学を使ったヘルスケアのお仕事をしている私にとっては受け入れがたいお話であり、どうして1万人の悲劇よりも1人の悲劇の方が心を打つのかといえば、統計データに対する想像力が、私たち人類には足りていないと説明されたりもする。確かに、「家なき子」のような不幸に見舞われた少女の話は涙を誘うが、「10,000人の人が命を落としている」という報道を聞いて涙を流せる想像力のある人はあまりいないだろうし、私もそうである。
もちろん、「心温まるお金」という、「気持ち」をないがしろにするわけでは決してない。そこにもまた、「生活が楽ではないのに他人に寄付する」という話があり、これは巨万の富を持つ富豪による寄付よりも“価値”が高いとも言えるだろう。ただし、その“価値”は経済学的な価値とはちょっと違うものであり、「寄付金を多く集める」「国際支援の機運を高める」といったことが目的なのであれば、より高い“価値”とはドライに金額の高さということになる。資本主義というのは良くも悪くもそういうものである。
以上


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