日本のプロ野球やアメリカのメジャーリーグ中継を見ていると、ホームランを打った選手が空に顔を向けたり、指を上に向けたりするポーズをする人がかなり多いことがわかる。これは「ホームランを打てたのは神のおかげです」ということで神様に感謝の意を表しているそうで、アメリカ人選手の多くがこのようなポーズをする一方で、日本人でこのようなポーズをする人はほぼいないのは宗教観の違いということになる。
科学文明の発達した現代にあっても、アメリカでは神様の存在を信じて疑わない人はかなり多いと聞くのだが、それはどのくらいの割合なのだろうか。印象的なのは「進化論だけではなく、神が天地を創造した説も合わせて教育すべき」と考えているアメリカ人が半分ほどもいるというアンケート調査結果である。
具体的にはPew Research Centerが2005年に発表した調査において「進化論と神による創造説を両方教えることに賛成」が64%、「進化論の代わりに神による創造説を教えることに賛成」が38%にものぼる。随分と前のアンケートなので今では少し様子が異なっているのかもしれないが、それにしてもこの結果は私の想像をはるかに超える。
ここ日本では、少なくとも私のまわりで進化論を否定するような発言をする人は皆無だし、そもそもキリスト教信者は少ないため進化論と創造説とを一緒に教育すべきという意見があるなどということは考えつかないだろう。前述したPew Research Centerによる調査では「人間やほかの生物は長い時間をかけて進化してきた」と回答した人は88%だそうである。もちろん、残りの12%が皆、神による天地創造説というわけでなく、わからないとか、未回答といったところだったことからすれば、およそ進化論否定者はほとんどいないのだろう。
ダーウィニズムという言葉は日本では「ダーウィン主義」とも訳され、これはダーウィンによる進化論、つまり生物の進化は主に自然淘汰や適者生存によって起きるという思想のことである。この言葉そのものはサイエンス的ではあるものの、ダーウィニズムをおかしな解釈に使って、強いものが勝つことが自然の摂理であるとか、障害のある人の存在を否定するといったような考えの根拠にするという態度は「社会ダーウィニズム」思想である。人類の黒歴史とも言えるところの、優生学思想やナチズムもこの類である。
とはいえ、進化論がすんなりと信じられている日本にあっては、そもそもダーウィニズムという言葉は存在意義さえないだろう。対立するところの創造説があるからこそこの言葉は存在意義があるのであり、それは「戦争」という事実があるからこそ「平和」という言葉がある、というロジックと少し似ている。
それにしても神が天地を創造したと信じている人にとっての進化論は、どのくらい気持ちを逆なでしてしまうのだろう。宗教は自由であるが、日本で信じられている宗教が進化論とは“バッティング”しないのに対して、宗教観とバッティングしてしまうものは認知的不協和のストレスがあるに違いない。
因みに、アメリカ野球と日本の野球はちょっとしたところに違いもある。例えばアメリカでは日本と違って引き分けがない。同じようにアメリカと日本の野球の違いとして、本場アメリカでは空の下で試合をするものというのがあるらしく、それ故に日本のようなドーム球場というのはあまりないらしい。
この辺りは野球観ともいえるが、「神が私を見守っている」という宗教観にも関係があるのだろう。確かに屋根付きの野球場でホームランを打った場合、顔を上に向けたところでそれは空ではなく屋根である。神様と選手の間に屋根がはさまり、「私がホームランを打てたのは屋根のおかげ」みたいになって困るのかもしれない。
以上


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