ウェルビーイングという言葉をはじめに聞いたのがいつだったかよく覚えていないのだが、この頃は「ウェルビーイング市場」などとビジネス的なニュアンスをまとい、当初からそうだったが益々、何だかわからない概念になってきた気がする。今でもウェルビーイングを冠したセミナーやシンポジウムに足を運ぶのだが、登場する演者やブースは幸福学の先生、保険業、旅行業、レストラン、ジム、エンタメなど顔ぶれは様々である。
私のテリトリーからみえる「ウェルビーイング」という概念は、やはりWHO憲章における健康の定義が起点となっている。
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”
(健康とは完全な肉体的、精神的および社会的ウェルビーイングの状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない。)
ここで登場するwell-beingはしばしば「福祉」という日本語訳がつけられるが、well-beingを辞書などで調べるとシンプルに「幸福」などともされ、そこではハピネスと何が違うかという解説が加わる。うまく理解しにくいのは、being(ビーイング)という言葉のニュアンスがどうも英語圏ではない我々日本人にはなじみがないというのも、ウェルビーイングが何たるかの理解を妨げているとも言えよう。子供の頃に聞いたビートルズの「Let it be」というタイトルにおける「be」というのが、何となくそれらしいニュアンスとして理解することが出来てきたのは私が大人になってからのことである。
ウェルビーイングという言葉がビジネス、有り体に言えば「お金のにおい」を身にまとった今、これから益々、広がっていくに違いないのだが、一旦立ち止まってwell-beingについて哲学的思考をしてみる必要もあるだろう。シンプルには「良く生きること」「良い人生」「良い存在」というニュアンスであり、では果たしてそれが具体的には何を指すものなのだろうか。
哲学者サルトルは、イスは人が座るための存在だし、ベッドは人が寝るための存在だけど、人間は産まれた時点で何の存在であるか色がついていないので、自分自身で「〇〇の存在」「〇〇のために生きる」といったことを見出さないといけない、それが苦しいなどとしている。このニュアンスを引き継ぐならばウェルビーイング、良く生きるというのもまた、これこれこうですというものではなく、千差万別、「私にとってのウェルビーイングとは」という“正解”は人それぞれということになる。
さて、私にとってのウェルビーイングとは何だろうと考えてみる。身体が元気で、美味しい物を食べて、いつも笑っていたい。それと同時にやはり何らか社会とは関わり、社会に何らか貢献していたい。自分で勝手に“正解”を出していい、ということなのだから、このブログを公開するという行為もまた、私にとってのウェルビーイングなのである。
以上


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