生きるとはどういうことか、悩んでいる人も多いだろう。恐らく、人生につまづいたり体調が悪かったりするとこの悩みが頭を持ち上げてくることも珍しくない。あるいは、何ら不満が無くても思考好きな人は勝手にこうした命題を“でっちあげ”るのかもしれない。
ヴィトゲンシュタインは「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」とした。「生きるとはどういうことか」などその際たるものだろう。もちろん、「私にとって善く生きるとは何だろう」のように、悩みを自分事にすれば「語り得る」ものになるので、悩むことの価値もあるというものだろう。犬や猫が「生きるとはどういうことか」ということにつまずいたりはしない。
そもそも普段、日常のことを「問題」として捉えてしまうことは「問題化」という概念で整理される。例えば薬の有効率を算出することに満足せず、「薬が効く人と効かない人がいるのは何故だろうか」とか、「病気になる人とならない人がいるのは何故だろうか」という思考は「問題化」という行動の一種である。
人生は短く、いらんことに悩んでいる暇はないのだが、「問題化」はいらんことに悩むという、時間ドロボウになってしまう恐れがある。その沼にハマることはoverthinking、考えすぎ、ということで宜しくないのである。
他方、「問題化」そのものは別に宜しくない、悪いことばかりではない。前述した「病気になる人とならない人」を熟慮することで、これまで知られていなかった病気の予防策が見つかる可能性もある。「薬が効く人と効かない人」に関しても、現代科学であれば遺伝子レベルでこれを解析し、「タンパク〇〇がある人にだけ効果がある」ということを発見するかもしれない。
天才科学者などと簡単に片づけて良いかどうかはわからないが、「天才」とされるような科学者はこの「問題化」のセンスが抜群だと私は思う。例えば、「なぜ物体は落ちるのか?」という問いは万有引力の発見に欠かせない「問題化」であり、このような普段、私たちが目にしているものの中で「不思議」を発見したニュートンはやはり天才だと思う。「時間は変化するのか」「光よりも早いものはあるのか」とは、アインシュタインの相対論発見につながった重要な「問題化」である。
ひるがえって、例えば夜空に星がどうしてまたたくのか、遠洋に向かう船がどうして下の方から見えなくなるのか、といった素朴な疑問を正面から向かいあうことが出来たならば、地球が自転していることや球形であることを見つけることにつながるのだろう。私のような凡人では到底そこに辿り着かない、天才科学者らの「問題化」とその合理的な帰結=大発見に驚かされるばかりである。
以上



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